§ Catecholamine

快感がビリビリ満ちる感覚」ってのは
神経伝達物質が脳内でどばぁーって生成されるときに来る快感でしょう?…たぶん。

あの神経伝達物質が生成されるための条件は
何かのきっかけで神経伝達物質が生成された時の記憶から
自分が本能的に選択して決めたものらしい。
だから、あの感覚が来るということは
自分がホントに好きなことをやっている、という実感になると思う。
この生成条件は新たな刺激や経験によって変化するから
年月を経るごとに自分の好きなことが変わるのは自然なことだ。

神経伝達物質の一つであるドーパミンが生成されると
脳内がある種の興奮状態になる。
この時、幻覚を発生させることがあり、
それをある種の神秘体験と認識したりすることもあるらしい。
また、脳内で生成される化学物質によって引き起こされる快感であり
場合によっては依存症になることもある。

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僕は音楽に関わっているときドーパミンが出る。
結果、僕は音楽が大好きで、
音楽に依存しているような生活をする。
文章を書いているときにも似たようなことは起こるけど、
音楽を聴いたり演奏したりする時の方が快感が強いので
音楽に関わっているときほどの満足は得られない。

個人的な意見だけど、
あのドーパミン出まくりな時の快感を愛って呼んじゃうのは、
大雑把すぎるような気がする。
でも区別がつかなければ、
快感は何でも同じようなものなのかもしれない。

快感を感じ分ける感受性の細やかさは
多分に経験がものを言う世界なので、
年長者の言うことはアタマに引っ掛けておくといいかもしれない。

神経伝達物質がもたらす刺激のパレットが多様だと
それだけ人をよく理解できるようになるのだと思う。
知らない刺激を想像することはできないもの。

好きなことって反射的に好きだと気づくけど
薬物依存と同じ仕掛けだと聞くと
ドキッっとする。

僕の中に神秘はあまりない。
でも自分の意志で脳を使っている感覚はあるから、
脳が勝手に僕を演じているとは思わない。
僕の脳は快感にどん欲だと思うし、
その分類にはかなりこだわりがある。
さまざまな刺激を感じ分けて、
脳を含めた自分全体が何を求めているのか
気をつけて観察している。
だからこそ、自分が好きだと思う何かに出会うと
すぐにわかる。その感覚を信じられる。

その違いを他の人にも伝えたいけれど、それはできない。
脳を直接つなぐ方法はまだ確立されていないから。
一般的にはその代わりに言葉を使うのだけど、
言葉を使うコミュニケーションはいつももどかしい。
だから、カラダに触れてカラダの感覚を呼び覚ますことが
必要になるのかもしれない。

物質を経由して伝えたヴァイブは
目に見えないけれど人に伝わる。
自分の感じている感覚そのものではないけれど、
物質的な感覚を相手に与えることが出来る。

もしかすると、皮膚感覚を経由して感覚を与えたときにだけ
人は「こころ」を間接的に共有できるのかもしれない。
だから「カラダ」が必要なんだ。
きっと。

Posted by tomo at September 17, 2008 12:00 AM | ESSAY |