§ 創造の核心

独創的な創作を続けていくにはどうしたらいいのか、というお話。
かつてこの問題についてかなり長い時間考え込んだことがあって、
個人的に得た結論を書いておいてもいいのかと思った。

自らのスタイルを確立したうえで活動を始めたのであれば、
淡々と書き続けるだけなのかもしれない。
でも、そうじゃない場合、一定の分量で仕事をこなしつつ
独創性を育てていかなければならなくなる。
個人的な感想だと、特に初期に個性的な作品を残した作家ほど
自らのスタイルを見いだすのに苦労しているように見えた。

これは音楽の世界でもまったく同じ問題がある。
独創的な作品を残した作曲家は、必ずと言っていいほど
大きな苦労を背負いつつ創作する。

例えば、武満徹

彼の場合、数多くの楽曲を残しているわけだけど、
芸術としての純音楽作品だけを作曲していたわけではなく、
初期の創作のほとんどは映画音楽だ。
もちろん武満自身が映画好きであったことも幸いしただろうが、
彼はその仕事を通じて数々の実験・試行を行い、自らの独創性に磨きをかけた。
その経験を通じて、後の作品にあらわれる独創性を培った。

武満徹が武満徹足り得たのは、映画音楽の仕事を単に糧を得るためではなく、
実験・試行の場として活用したその姿勢にあると思う。
映像のための音楽という制約の下にありながら数々のアイディアを投下し、
音楽表現の自由を求めて新たな表現の可能性を追求し続けた。
逆に言うと、厳しい制約の中で徹底的に追求された表現の自由が
彼の才能を開花させたと言って差し支えないと思う。

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無限の選択肢を得た時、人はしばしば呆然と立ち尽くす。
あるいは、自ら制約を作り出し選択を始める。
その最初の制約を自分の中から勝手に選び取る行為が
あらゆる創造の原点となる。

最初の制約一つを選ぶために人が利用するのは、
記憶であったり、その場で発見した何かであったりするが、
とにかく、非常にわがままな理由で選択された制約を素材として展開を始める。

制約によって限定された世界は容易にその限界を見せる。
制約が詳細であるほど、その世界は明確な輪郭を持ち、
一つの型として認識される。

制約条件下での多様性の追求という行為は、
この型を使いこなす方法を追求していることになる。
型の特徴を知り、それを生かすアイディアを探すわけだ。

ここで十分に発想の柔軟性を培わなければならない。

まず、記憶を総動員して過去に経験した型を思い出し、
制約に適合するものを選び出す。
次に、選んだ型を組み合わせて新しい型の可能性を検討し、
気に入ったものをさらに選び出す。

原点となる着想は自らの思考が自然にたどる軌跡の場合もあるし、
他人が見せた思考の軌跡を学ぶことによって獲得する場合もある。

ここで着目すべきなのは、これらの行為が
すべて記憶に基づいているという点だ。

つまり、創造行為の核心は記憶の照合と展開なのだ。
したがって、記憶の量、あるいは、思い出せるアイディアの量が
創造の豊かさを決定的に左右する。
あえて言うが、記憶は多いほどいい。
過去に経験した型が多ければ多いほど、豊かな発想を得ることが出来る。

ただしここで、気をつけなればならないのは、
これらのプロセスをすべて意識的にやっていたのでは、
独創性に欠けてしまうという点。

この問題をクリアするためには、脳が持つ機能に頼らなければならない。
つまり、一度忘れるのである。

この忘れるという機能のおがけで、溜め込んだ記憶が洗練され
自分の個性にあったものが取捨選択される。
さらに、一度忘れた記憶を呼び出す際に混乱が生じることがあり
うまい具合に記憶がシャッフルされることがある。
その時の混乱が新たな着想を生み出すことがあり、
それがまた独創性につながったりする。

詰め将棋に始まり、過去の棋譜を研究し尽くした棋士が、
ある時、独創的な指し手を編み出すのはその良い例となるだろう。

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結局、創造行為の核心は、
記憶に基づいて行われる、制約の選択と展開、にある。
制約を自在に利用できるようになれば、
自由を感じることは出来るだろうが
それでさえまったくの自由というわけではない。
小さな制約の多様な結びつきによって、
複雑な制約が醸造されているにすぎない。

もし、自由に創造していると感じているのだとすれば
それは創造のプロセスに、単に無自覚であるだけなのかもしれない。

自らの創造性を発展させたいのであれば、
記憶を溜め込み、展開するという
とても地味な作業を繰り返して、脳を耕していくしかない。

今現在の自分が何の努力もなく発想できる着想のバリエーションが
現在の自分の限界となる。
しかし、これは絶対的なものではない。
面倒くさくて、イライラするけれど、
じりじりと続けることで、限界を押し広げることができる。

だから、限界を超えたいと願う人に必要なのは、
本人の強い意志と、周りの人のちょっとした理解と励ましだ。

Posted by tomo at September 19, 2008 12:00 AM | ESSAY |