§ Changeless Trust

僕には変なジンクスがある。

キース・ジャレットが来日すると、人生の転機が訪れる。
あるいは、人生の転機にキース・ジャレットが来日する。
どっちが原因で結果なのかは、どうでもいい。
またしても僕は人生の転機にあって、性懲りもなくもがいている。
とにかく、この不思議な因果が彼の音楽の性質とマッチして
とても不思議な気分になるのだ。

僕が彼の音楽を初めて聴きいたのは、小学生くらいのときだと思う。
あの当時バカ売れした『ケルン・コンサート』をどこかで聴いた。
そのどこかでというのが微妙で
何度も聴いたはずなのに、ハッキリ思い出せない。
…というのも、18歳の時にケルン・コンサートを聴いて
これは聴いたことがある、と思い出したからなのだが。

僕は彼の音楽に心の底から心酔していて、
自分の音楽性形成の上でかなり深い影響を受けている。
それは音楽の様式的特徴の嗜好というよりも
音楽に対するコンセプトとでも言うべき部分で
音楽とは何か、という命題に応える内容だ。

キースの音楽はその即興性にすべての特徴が集約される。

たとえスコアミュージックを演奏する時でも、
彼の演奏の根底に流れる即興性は失われない。
少なくともそれを感じさせるように演奏する。
一回性、流動性、多様性、そして即時性、
彼の演奏が持つそれらすべてが音楽へ生命を与えている。
その生々しさが彼の音楽の最大の特徴なのだ。

音楽において生命感はその呼吸によって表現される。
さらに具体的に言うと、旋律を処理する手際の妙技によって
あたかも旋律が呼吸しているように聴かせることで表現される。
歌はそれを直接的な方法で表現してしまうが、
器楽の場合、フレーズが呼吸しているように聴かせるためには
それ相応の技術的習熟が必要なのだ。

キースの音楽は常に呼吸している。

各音楽要素のコンテクストが緊密に関係づけられている。
しかも、それぞれが常に息づいており、
あたかも音楽全体が一つの生命を持っているかのような
生々しさを感じさせる。

実際、彼はピアノの演奏中に弾いているフレーズを歌っていることも多い。
潔癖性なクラシック音楽ファンはそれをノイズと呼ぶが、
僕らはそれさえも彼の表現の一部としてとらえる。
この違いは彼の音楽を理解する上で、重要な鍵となる概念だ。

キースが従っているのは音楽そのものであり、
現象としてのサウンドではない。
だからこそ彼の音楽は息づき、生命を感じさせ、
誕生する瞬間に大きな感動をもたらす。

今年の5月に自身のソロコンサートのために来日していたキース。
初日の横浜で聴衆へ向けて言った感謝の言葉がこれだ。

Thank you for the trust.

音楽を信じてくれてありがとう、と。そう言ったのだ。
彼のようにシリアスな音楽を演奏できる音楽家は
もうほとんどいない。
もし聴衆が、この種の音楽を、音楽の真実を信じなくなったら
この音楽の生命は終わる。

だから、彼は感謝するのだ。
シリアスな音楽を聴いてくれて、信じてくれてありがとう、と。
僕は彼が生き続ける限り彼の音楽へ変わらぬ信頼を捧げ、
そこから学び続ける。

音楽とは何か、を。

Posted by tomo at September 18, 2008 12:00 AM | ESSAY |