§ 一杯のコーヒーが与える感動。

今朝飲んだコーヒーがあまりにもまずかったので、腹が立ってこんな無駄話をエントリーしてみた。

新潟県の上越市ってところに、確か「シティーライト」っていう名前の喫茶店があった。(まだあるかどうかは知らない。)

今にしてみると、なんでそんなところに行ったのかよく思い出せないのだけど、たぶん何かの用事ついでの待ち時間にそこへ立ち寄ったのだと思う。とりあえずカウンターに座ってマンデリンのストレートを頼んだ。なんだかとても疲れていたので、もの静かな感じのマスターがコーヒーを入れるのを、ぼーっと見ていた。

ま、特にどうということはないのだけど、今思い返せばけっこう無駄のない身のこなしで丁寧にコーヒーを入れてくれたと思う。一杯ごとにドリップしてくれるだけで好感なんだけど、蒸らしが終わってお湯が注がれた時に立ち上がってきた香りが私に届いた時、その違いに気づいてちょっと目が覚めた。とにかく純度の高いアローマなのだ。まさにこれがマンデリンだよ、っていう典型的な香りが周囲に漂う。

そして、ついに一杯のコーヒーが私の目の前に出された。まず、ひとしきりこの魅惑的なアローマを楽しむ。おそらく自家焙煎なんだろう、ちょっと強めにローストした感じの落ちついた格調高さが印象的だった。その後一口飲んでみた。あの時の感動はたぶん一生忘れないだろう。一口含んだ瞬間に背筋がゾクッとする感動を味わった。正直、たかがコーヒーでこんなに感動させられたことは、後にも先にもこの時しかない。しかし、このコーヒーの価値はその一口だけで充分に理解できた。

うまく描写できないが、とにかく通常ありえない純度のコーヒーなのだ。雑味がほとんど感じられず、豆が本来備えている苦みが洗練された美味しさとしてヴィヴィッドに訴えかけてくる。焙煎、ひき具合、お湯の温度、そして使う水、絶妙な蒸らし、そしてカップの温度。これらすべてで良い条件がパーフェクトでも、こんなにきめの細かい美味しさなんて出ない。この人は、絶対に通常あり得ないことをやってると思った。

あまりにも感動したので、どうやってこんな味に仕上げているのか尋ねたところ、正直、エエ!?と思うようなことをしてこの味を作り上げていた。このマスター、店の休業日全部を使って店で出すコーヒーの豆を、ホントに一粒づつ(!)選り分けてコンディションのよいものだけを使うのだと言っていた。だから、購入した豆の2割くらいは店では使わないのだそうだ。そして、その豆の選別にものすごく時間がかかるので、ほとんど体を休めることができないと言っていた。

たかがコーヒー一杯でここまでやる。また、ここまでするからこそ、通常あり得ない高さのクオリティーを引き出す。言葉のあやではなく、冗談抜きでこのおじさんはコーヒーに命を懸けているのだということがわかって、思わず姿勢を正して話をきいていた。その後「シティーライト」には二度と立ち寄っていない。あのとき一度きりの、まさに一期一会の出会いだった。あのとき飲んだ一杯よりもおいしいコーヒーには出会ったことがない。

たった一杯。あの一杯でコーヒーの本当の美味しさを知ってしまったが故に、その後に飲んだコーヒーすべてに不満を感じてしまうのだ。正直、もうあきらめかけている。あれは、あのおじさんにとっても、私にとっても、運命の一杯だったのかもしれない。

そして、コーヒーを飲むたび、あのおじさんのプロフェッショナリズムを思い出す。私もあんなすごい仕事ができるようになるのだろうか。実際は無理かもしれないけど、でも、いつかきっと、と思わずにはいられない。

Posted by tomo at March 10, 2006 12:00 AM | ESSAY | TrackBack |

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