誰か記事のオーソライズよろしく-Parsleyの「添え物は添え物らしく」
via [R30]: SBMってオーソライズ機能にならないのかな
長いよ。
----
最初に断っておくけど、今回のエントリーは雑誌の可能性について考えているわけではないので、リンクしたエントリーにある雑誌の可能性に関する部分に関してはスルーということで。スマソ。
----
今回のエントリーのきっかけになったのは、この部分。
摂取する気のない情報を摂取させる方法論として、何らかのパッケージが必要なんじゃないだろうか。
…「野菜もちゃんと食べなきゃダメよ」みたいな。
この部分に引っかかった最初の理由は、以前に何度か流行った(?)Web司会者(笑)要・不要論の匂いがしたからなのだが、よく考えてみるとBLOGのストック/フロー問題、さらに情報の消費サイクルの話などが芋づる的に連想されて、一人で盛り上がってしまったからなのだ。
その個人的な盛り上がり(?)をエントリーに整理しようと思ったのだが、どうやらこの主題を簡潔な文章にまとめるのはものすごく大変な作業だということに気づいた。
情報のパッケージングてのはそれを行う編集者の力量に完全に依存する。とりあえず日本語圏のコミュニティーをまんべんなくクロールしつつ、自らが定めたテーマに基づき集めた記事を分類し、対比させ、それを通して編集者自身の視点を明らかにする、と。ざっと書いただけでも萎える非常に面倒で大変な作業をすることになる。
これを一個人が手作業で継続的に実行することは不可能なので、もしどうしてもその作業を手がけたいという人がいるとすれば、その人はかなり高度な情報処理スキルを駆使し、編集作業の大部分をプログラムによって自動処理させる必要が出てくる。それを実現できる人が編集作業をやるならかなり面白い情報パッケージができあがると思うが、実際にはとても難しい実装になるので、その開発に時間とカネをかけられる人というのはとても限られた存在になると思うが。まぁ、そこまでやらなくても自分とこに集まったトラックバックのみをもとにしてパッケージングをするという手もあるにはあるが、それを実行する主体が10,000PV/day程度のサイトのオーナーだとすると、いかにもダサい。
「誰か記事のオーソライズよろしく」とか気軽に書いちゃうけど、誰がそれをオーソライズするのが適任なのかという何だかわけのわからない問題が残る。(恐らく、Parsleyタソはその役目をR30タソに求めたのだろうが。)で、それについて考えはじめると以前書いたエントリーと同じ内容になるので、没。
(ついでに書くと、私の書いたエントリーなんかよりもココを嫁。> SOUL for SALE » 独裁/民主制/指導者)
----
ものすごく長くなったが、前振りはココまで。(w
そんなわけで今回は情報パッケージングの問題については華麗にスルーしつつ、もう一つ引っかかった部分にフォーカスしてみる。
せめて、「前線」がどこかだけでも把握出来ればなぁ、と思うのだが、グーグル先生に頼りっぱなしというのもなんだかなぁ、と感じる。
この部分を読んだ瞬間に思い出したのが「SOUL for SALE」にあったこのエントリー。
SOUL for SALE » フローなブログ/ストックなブログ
Webではフロー性の高いものに人気があつまりやすい、と。上で引用した一節の背後にあるメンタリティはまさにその反映であるように思った。無意識的な判断ではあるけど、「グーグル先生に頼りっぱなしというのもなんだかなぁ、と感じる。」という部分なんて、まさにストック性への拒否反応そのものだと思う。実にオモシロイ。
利用者本人たちの意識的にはフローなメディア(?)として意識されているのかもしれないけど、システム的にみるとBLOGてのはストックを指向している。だからこそPermalinkが必要になる。MTなんてその意味合いを強めて、individualエントリを静的ドキュメントとして吐き出す。
だからといってBLOGでフローな使い方ができないかというとそうではない。BLOGのトップページなんてエントリーが時系列で管理されるから、まさにフロー的な性格を持っている。したがって、そこだけに着目すればBLOGに対してフローなイメージを持つことになるだろう。利用者がそれらのどちらに重心を置くかによってBLOGはスットクなメディアにもフローなメディアにもなることができる。
ここで誤解を恐れずさらに一歩踏み込んで言うと、BLOGをフローなメディアと見なすのはいかにも「ホームページ的」な捉え方だと私は感じる。
私がいう「ホームページ的」というのは、言い換えると「トップページ至上主義」とか「index.html至上主義」と表現できるかもしれない。ずっと前の「ほーむぺーじ・ブーム(笑)」の時、「ディープ・リンクすんな、コラ!」というのがちょっとした流行になっていたことがあったと記憶している。(というか、「マナーだ」と力説していた人もいたような気がする。)それはサイト全体のコンテンツはトップページを軸にして配置・展開されているということを暗に示しているのだが、実際、当時はサイト全体のPVのほとんどは/index.htmlによって稼ぎだされていた。したがって、/index.htmlのコンテンツをどう構成するかというのは甚だしく重要な問題だったわけだ。
このような視点からBLOGを見つめると、トップページが時系列で整理されているBLOGがフローなメディアに見えても仕方ないと思う。(だからこそ、BLOGをダイアリーと近似として捉えることができるのだろう。)
しかし、そのようなトップページの持つフロー的特徴はBLOGの持つ一面でしかなく、一方ではPermalinkを重要視しストックを指向している。また、RSSを利用することでHTMLドキュメントをブラウザで閲覧する以外の方法によるコンテンツへのアクセスを促している。その結果、/index.htmlの価値は従来の「ホームページ」と比較すると相対的に低下していることになる。つまり、/index.htmlはもはや唯一絶対の支配者として君臨する存在ではなく、幾つかあるゲートの一つとしてindividualの中に並列に存在するページの一つのスタイルとして収まったように見える。
つまり、/index.htmlに見られるBLOGのフロー的な特徴はコンテンツが露出する第一ステップに過ぎず、Permalinkを持ってコンテンツがストックされることで別の経路からの露出に備えることになる。具体的に言うと、検索エンジンにindividualがインデックスされ、検索されることによって/index.htmlとは異なるもう一つのルートを経由してコンテンツが露出される。それら相反する特徴をもった複数のルートを経由して公開されるコンテンツには息の長い生命を与えられ、エントリーを起点とした継続的なコミュニケーションの可能性を生み出す。
私自身はそんな感想を抱いていたので、検索屋にindividualが拾われてからが本番みたいな感覚を持っている。だから、下で引用する部分を読んだとき、自分との感覚の落差に軽い目眩を覚えた。(笑)
『ガ島通信』様の「記者クラブと発表ジャーナリズム;ブログができること」は、自身のカミングアウトといい、論旨の明快さといい、良質のエントリーだと思う。しかも、「これがnikkeibpでの連載オワリ」ともあれば、もっと煽られていい。だが実際は7月14日の時点で付いているトラバが4件。淋しいものである。
これを「寂しい」という感覚ってのは、いかにもジャーナル的な感覚だと思う。賞味期限が短く限定されていて、トレンドに乗って祭りにならなければそれ以降見向きもされないメディア特有の危機感のようなものの匂いがする。大昔は紙がメインだったので検索性が悪く、コンテンツが埋もれやすかったから祭りでも起こして無理矢理にでも露出させないと二度と読まれなかったのかもしれない。そういう感覚であの記事を読んだのであれば、「トラックバック4件」というのは寂しいことなのだろう。
確かに文章をパブリッシュしてから反応が起きるまでにタイムラグが生じるし、誰かに読まれることが保証されているわけではない。しかし、それほど悲観すべき状況でもないと思う。受け手と書き手の問題意識シンクロしなければ何か意味のある反応なんて生じないのだから、自ら望んで検索してエントリーを探り当ててもらうという状況はそんなに悪いものではない。必要なとき、必要なキーワードを突っ込んで検索してくれる人がいる限り、(少数であるかもしれないけど)知らない人に拾われて読まれることになるだろう。
もちろんエントリーを関連づけるために自らトラックバックやリンクすることは必要だが、それなりに有意義な内容が用意できたのであればそれらの行為を躊躇する必要などないと思う。それでも読まれないのであれば、もう一度内容を吟味してみる必要があると思う。
ちなみに、ウチのBLOGへの来訪者は各自が個別に検索してたどり着くことがほとんどで、特定のページのリンクを踏んでたどり着く例は全体の5%にも満たない。つまりウチのBLOGの閲覧者のほぼすべてはなんのつながりもないスタンドアローンであり、彼・彼女らが何らかのキーワードを軸に、検索エンジンを経由して集団を形成しているというなんとも面白い状況になっている。私個人としてはログから見えてくるスタンドアローンなナナシ集団の存在が気に入っているし、その状況にとても満足している。祭りの主役にはなれないけど、ちびちびとたくさんの人にエントリーが提起した問題意識やらコメントが意識される状態というのはなかなか面白い。仮に祭られしまったら消費されるのも早いわけで、すぐに見向きもされなくなる。どっちにしても大局的には現状と大差ない状況に落ち着く。
----
で、さらに考える。BLOG界隈というか、今現在のインターネットのコミュニティてのは一つのトレンドをみんなで共有して喜んでいる程度の小規模な集団なのだろうか?
「SOUL for SALE」では、こんな状況を次のように表現していた。
SOUL for SALE » フローなブログ/ストックなブログ:
フロー性の高いものを垂れ流すことが出来る環境は、どんどん送り手の側への意識を狭めていくことの出来るアーキテクチャを要請する。…(中略)…こうなってくるといよいよ「スモールワールドの中の御山の大将」が個別ばらばらに影響力を持つみたいな話になってくるのかなと思う。
これだけネットワーク利用者が増え、なんらかのカタチで情報を発信する人が増え、さらに様々な価値観に基づいた小規模なコミューンが数多く形成される中で、ネットワーク・シーン全体を席巻するようなトレンドがあると考える方が不自然な気がする。そんなわけで、上で引用したような状況に陥っていくのだろうな、と。
しかし、同時にそのような状況から抜け出すためのアーキテクチャも用意されつつあるわけで。ネットワーク上を自由に動き回れるようなスキルを何とかして獲得したいものだと個人的には思う。
----
最後に。
『せめて、「前線」がどこかだけでも把握出来ればなぁ、と思う』その気持ちの有り様は、まだ世界が象に支えられていた頃(笑)、人が世界の果ての存在を素朴に信じていたのと共通するものがあるような気がする。
…思い返してみると、5年くらい前は自分もそんなこと考えていたっけ。(笑)
Thanks for signing in,
.
Now you can comment. (sign out)
(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)
サイン・インを確認しました、
.
さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)