§ 弘道おにーさん、語る。

MSN-Mainichi INTERACTIVE:特集WORLD 15万人の3歳児の定点観測 子供は変わらない、子育てが変わった

ウチのカミさんも大好きな「ひろみちおにーさん」。

ちなみに、私も同い年だが「おにーさん」と呼ばれたことは一度もない…orz。

そんなことはどうでもよくて、重要なのはココ。変わったのは子どもではなく、親だとのこと。

MSN-Mainichi INTERACTIVE:特集WORLD 15万人の3歳児の定点観測 子供は変わらない、子育てが変わった

答えは「お母さん」だ。いつもより濃い化粧でおしゃれした母親に連れられ、NHKのスタジオにやってきた子供たちは新しい場所より、普段と違う母親の気迫の方に緊張する。少しでも娘をかわいく見せたくて、母親が髪をお団子に結ったせいで、髪留めが痛いと泣いた子がいた。熱があるのにスタジオに連れてこられ、熱性けいれんを起こした子もいた。母親から離れようとしない子供をスタジオの隅でたたいた母親もいた。そんな母親が少しずつ増えていった。

子どもってのは、文化的に「真っ白」な状態なんだもの。影響を与える周りの人たちが変わってしまえば、子どもだって変化したように見えてしまうだろう。

確かに、子ども利用して一発当ててやろうみたいなキモい親が増えているような感触は私にもある。少子化がそれをさらにエスカレートさせているような気もする。

んなわけで、ツラいのは子ども。端で見ていても本当にかわいそうな子がいる。私が見た限りでは、そんな子のほぼ全員がかなり強く「たすけて!」のサインを発している。しかし、肝心の親はそのサインの受信そのものを無視している。それもかなり意図的に。で、そういう親はいつも同じことを言う。

「なんでママの言うとおりできないの!!」

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「小さいうちから英語などを習わせて必死になる一方で、子供を公園で遊ばせながら携帯電話でメールばかりしている。いらないところで過干渉。でも親子の触れ合いは減っている」

んなわけで、子どもは親との触れ合いに飢えている。愛されていることの実感が欲しくて。でも、親を求めれば求めるほどウザいとか言われて怒られる。3歳児くらいだと「いい子になってみせる」という知恵も働かないから、ただひたすら親を求めようとする。

しかし、親の方は子どもと向き合う(=「現実」と向き合う)覚悟なんて出来ていないもんだから、目の前にいる子どもの姿や個性なんてあっさり無視して、身勝手に設定した「理想の子ども像」にすがり、「子どもを負け組にはしたくない」とか言ったりする。さらに、平気な顔してそれが親の愛だと言ったりする。

「子どもに希望を託す」と書くと字面が美しいので嫌なのだが、それは要するに「子どもを利用して自分の価値を高める」と同義なのだ。それは、子ども自体が「親自身の自己実現の手段」になりつつあるということだ。平凡でダメな私の代わりにスタァになっておくれってか。

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そんな親にも同情する点は少しだけある。「親というものは、自分のすべてを捨てて子どもに献身すべきだ(それが当たり前だ)」という通念(というか思い込み)が親を縛っているのかもしれない。

そういった思い込みに縛られる親というのは、基本的に根が真面目というか、バカ正直と言うか…、要するに「子どものために立派な親になろう」という無茶な決意を胸に秘めて、ホントに自分の生活のすべてを捨ててみたりする。(笑)

そんな感じで、ものすごい勢いで育児に没頭するわけだが、そんな立派な志を持った自分を褒めてくれる人はいない…。(夫くらいはもっと褒めてやれよ、と思うが。)そんな生活が3ヶ月も続くと飽きるので即、挫折。しかし、やり直しは効かないので途方に暮れる、と。

そんな状態が続くと、「健気な自分」を褒めてほしくて人格が歪み始める。そこで、ついに「褒められたいよ大作戦」がはじまる。それがまた、ものすごく短絡的な思考に基づくことが多いので笑える。雑なチャートにしてみるとこんな感じ。

容姿が美しい子、あるいは特殊な才能を持った子は、世間から褒められる。
     ↓
そんな子どもを育てた(生んだ)親はエラいと言われる。
     ↓
子どもが褒められれば、自分も褒められる。
     ↓
じゃぁ、世間から賞賛されるような子どもを育てよう!

これを見ると「アホか」と思うけど、実際こんな感じだ。

で、手っ取り早く褒められるには子どもを目立たせればいいわけで、子どもの露出をやたらと増やそうとする。そんなプロセスで最初に引用した「子どもに熱があるのに収録につれてきた親」なんてエピソードが誕生したりする。

かくして、一見ポジティヴな思いの積み重ねがその志とは反対の結果を生むことになる。

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なんというか、その、結局は親自身が自らの生き方にきちんと対処できていないことに多くの原因があるわけで、子育て云々言う前に自分の人生に決着をつけろ、と言いたいわけだが。

そこまで考えて突然思いついたのだが、子どもをダシにして自己実現しようとする親が増えているということは、逆に言うと、自分を「ダメだ」と感じている大人が増えている、ということでもあるのかもしれない。

…これって、「希望格差社会」ってことなのだろうか。う〜ん。

Posted by tomo at June 26, 2005 4:42 PM | ESSAY | TrackBack |

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