§ フレデリック・フェネル永眠。享年90歳。

Eastman School of Music: FREDERICK FENNELL, FOUNDER OF THE EASTMAN WIND ENSEMBLE, DIES AT AGE 90
佼成出版社 音楽出版室:【訃報】フレデリック・フェネル氏(東京佼成ウインドオーケストラ桂冠指揮者)死去

著書:『MUSIC!—フレデリック・フェネル、語る
参考:WIKIPEDIA: Frederick Fennell
参考:WIKIPEDIA: Concert band

なぜか知らないけど、急に昔聴いたことのある作品を聴き直したくなって凄い勢いでクロールしてみたら…「DIES AT ...」て、おい!

あのおじいちゃん、亡くなったんですか!

... _| ̄|○

私は、面白くないことをたくさん思い出すので、基本的に過去を振り返るのがキライだ。それでも何かのきっかけでふりかえることもあるわけだが。

馴れないことはするものではない。

私が過去を振り返ると、かなりの確率で訃報にあたる。クライバーのときも、エルヴィンのときも。(実は親類縁者関係で他にもある。)

まぁ、そういうタイミングでしか過去を振り返らない自分が悪いんだろうけど。しかし、萎える。

私がウィンドアンサンブルに関わった時間は、自分の音楽生活の中のほんの少しでしかなかったわけだけど、そのおかげで現代アメリカの面白い作曲家をたくさん見つけることができたのでわりとよい経験だったと思う。

----

フレデリック・フェネルが「ウィンドアンサンブルの父」などと表現されるのにはかなりちゃんとした理由がある。

ものすごく活躍したおじいちゃんだから、と説明しても間違いではないのだけど、単に活躍したという以上の非常に重要な役割を担っていた。

近代というか現代のウィンドアンサンブルの標準編成を定め、理論として提唱したのがフレデリック・フェネルその人だ。つまり数多存在するウィンドアンサンブル野郎や小僧たちは、皆このじいちゃんが作り上げた土台の上に乗っかっている。

フェネル以前ウィンドアンサンブルには標準編成というものが存在しなかった。というか「ウィンドアンサンブル」という言葉がまずなかった。

フェネル以前この編成で演奏される音楽には適切なスタイルが与えられておらず、該当する編成の作品をつくる際、作曲家は演奏団体の実情にあわせて楽器編成を決めていた。もともとが軍楽隊にルーツがあるものなのでプラグマティクな理由で編成が決定されるのは別に悪いことではない。しかし、そのままではウィンドアンサンブルの芸術的側面のでの発展を期待することが難しかった。

楽器編成が標準化されなければこの楽器編成が持つサウンド・アイデンティティが規定されない。それでは何が魅力なんだがさっぱりわからないということになる。オーケストラとどう違うのか、あるいはイギリスのブラスバンドとはどう違うのか、まずはそういった点をひとつひとつ明確に規定しなくてはこの新興ジャンルの音楽が持つ魅力をとらえることができない。

また、編成が標準化されなければ特定の団体のために作られた作品は他の団体では演奏できないという事態に容易に陥り、作品を広く一般に知らしめることが難しくなる。また、演奏する立場からすると、楽器の購入にしてもプレイヤーの確保にしても、予算獲得やプレーヤー募集の計画が立てにくいという状態に陥ってしまう。

そこで、その混沌とした状況に終止符を打つためにバシっと一本筋を通したのがフェネル翁だったわけだ。このじいちゃんの提唱した理論なしにはロバート・レイノルズの主張も存在しなーい。

まさに父、というか「ネ申」っぽいでしょ?

そのフェネルの提唱したウィンドアンサンブルを体現していたのが、イーストマン・スクール・オブ・ミュージックのイーストマン・ウィンドアンサンブルだ。フェネルが提唱した「ウィンドアンサンブル」は明確に編成が規定されていて、各パートに1、2名を配置した室内楽的な編成である。プレーヤーの人数を合計すると45人程度の演奏団体になる。

現在のスクール・バンドなどはさまざまな事情でもう少し大規模な編成を採ることが多いようだけど、それはロバート・レイノルズを中心とする一派がフェネル理論を拡張して作った編成がもとになっている。

現在、日本のアマチュア団体に定着してる編成はレイノルズの影響下にあると言えるのかもしれないけど、プロフェッショナルな団体はあきらかにフェネル理論に基づいた編成になっている。

どっちがいいのかと言われると、それぞれ用途と魅力が異なるので、はっきり言ってどっちでもいい。(私は室内楽が好きなので、個人的にはフェネル編成の演奏のほうが好みなのだけど。)

強いて言えば、デカい編成だと希望者がみんなステージに乗れるのでアマチュアはレイノルズ的な編成の方が実情にあっているかもしれない。

一方、プロフェッショナル団体の場合、各プレーヤーの技術が高いので小編成でも鑑賞に堪え得るクオリティを出せる上、人数が絞り込めるので運営にかかる経費等のことを考えるとフェネル理論に基づいたほうが運営しやすいということになるか。

ちなみに小中高のコンクールの規定は明らかにフェネル理論を意識している。たぶん運営費のことを考慮してるんだと思うが、ホントのことはしらない。

----

なんか勢いで語ってしまったが、幸いなことに日本には秋山紀夫という世界的な第一人者の先生がいるので、このへんの詳しいことはその先生に聞いた方がいい。

----

…というわけで、フェネル翁は偉大だった、というお話。

フェネル翁のその他の業績は、イーストマンのリリースがよくまとまっているのでそちらを参照してみるといいかも。

これからフェネル翁が振ったクリフトン・ウィリアムスでも聴きますか。

ご冥福をお祈りいたします。

Posted by tomo at December 26, 2004 5:35 AM | ESSAY | TrackBack |

Comments

Post a comment

Thanks for signing in, . Now you can comment. (sign out)
(If you haven't left a comment here before, you may need to be approved by the site owner before your comment will appear. Until then, it won't appear on the entry. Thanks for waiting.)

サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


Remember me?