§ 参加型ジャーナリズムとオープンソース開発のメンタリティ

tsuruaki_yukawaさんのコメント
ネットは新聞を殺すのかblog:切り込み隊長に物申す
切込隊長BLOG:新聞業界がこの先生きのこるには

参考:Unforgettable Days: ブログジャーナリズム/ブログメディアの特徴
参考:佐々木俊尚の「ITジャーナル」:インターネットが取材を変える日

自分的にこの議論の焦点になっている「参加型ジャーナリズム」という概念。どうも、どこかで見たことがあるようなモデルだなぁ…と思って仕事をしていたら、ふと思いついた。

「参加型ジャーナリズム」について自分なりにざくっと調べてみたのだが、明快な定義を見つけることが出来なかった。そのなかでも、なんとなく自分的に納得できたのは、SOUL for SALEのエントリーで見つけた「草の根ブログジャーナリズム」という言い回し。

さらに、参加型ジャーナリズムとオープンソースを結びつけるヒントになったのは以下の部分。

SOUL for SALE:分断統治されるインターネット

…現状ではニュース報道系メディアでは基本的にネットを「無視」ないし「ソースとして利用してもそのことを明かさない(別のルートからソースを検証する)」というのが目立つ気がするが、対してネットの側は「ソースとしてのメディア情報」を斜めに解釈して遊ぶ、という形でますます既存メディアへの依存度を強めているのではないか。…

仮に参加型ジャーナリズムというものが成立するとすると、どんなものになるだろう。

ジャーナリズムと称するには、少なくともそれは報道としての要件を満たしていなければならない。ジャーナリズムに関係するビジネスが情報発信者と受信者の情報ギャップを前提として成立している以上、確実な一次情報源を突き止め、その情報を適切に評価するための視座を提供する必要がある。

見解として表明すべき論理を構築できるだけの能力を持った個人は、少数であるとはいえ一定の割合で存在するような気がする。しかし、もうひとつの要件である「情報発信者と受信者の間にギャップが存在する情報」を探し出すために費やせる時間と労力を兼ね備えている個人となると、非常に限られた存在になるだろう。

けっこう過酷な条件である。しかし、この高いハードルを超えた個人が存在ないことには参加型ジャーナリズムは存在し得ない。

ここでちょっと発想を転換。

この過酷な条件を見ていて思い出したのが、オープンソースのソフトウェア開発である。

つい最近、バージョン1がリリースされたMozilla FireFoxは、その優れた成果物の一つであるが、このスタイルの開発で成功した事例の中で、最も有名なものはLinuxの開発だと思う。ソフトウェアの命であるソースコードをパブリックに公開し、基本的にはボランティア参加のエンジアやプログラマを中心に開発が進められている。

彼らの大半はプロフェッショナルな腕前を備えたプロブラマやエンジニアであるが、Linuxの開発で生計を立てている者は決して多くないはずだ。(最近はLinuxへの投資を盛んに行っているIBMなどの企業の貢献が目立ってきているので、多少状況は異なるかもしれないが。)彼らの作業時間の大半は週末やバケーションを返上して充てられる。開発のために一定期間休職する人もいるようだが、そのような状況が許される人は決してマジョリティではないだろう。

このようにボランティアに支えられて育てられてきたのがLinuxであるが、それはLinuxの品質が低いということを意味しない。むしろ、その品質の高さや付随するメリット故にMS Windowsをはじめとする商用OSを脅かす勢いで採用されている。彼らのモチベーションは高く、ソフトウェアとして最高の品質を目指して開発に勤しんでいる。

一時期、オープンソース・ソフトウェアはビジネスにならないのでは?という風評が見受けられた時期があった。現状はどうかというと、IBMがLinuxで大規模にビジネスを展開している事実が象徴しているように、今ではかなりの数にのぼるオープンソース・ソフトウェアの多くは開発団体の規模に見合う程度にはビジネスとして成立している。

そのビジネスモデルは細かく見ると多様だが、典型的な例を説明するとこうなる。開発されたソフトウェアそのものは無償で配布されるが、その開発サポートあるいはカスタマイズのフィーによって収入を得ている。彼らの直接的な顧客の多くはコンピュータ・システムのデヴェロッパであり、そのデヴェロッパへの開発支援あるいはサポートによって主な収入を得ていることが多い。あるいは、大企業が大口の寄付を行ったり、本格的にリソースを割いてその開発にコミットし、自らのビジネスを直接的に推進しようとする場合もある。

製品そのものだでなくその開発プロセスをも共有しながら、なおオープンソース開発はビジネスとして成立しているわけだ。

一方、参加型ジャーナリズムはどうだろう。

冒頭で述べたが、ジャーナリズム関連のビジネスは、情報発信者と受信者の情報ギャップを利用して得られた情報そのものと、それを評価するひとつの視座をセットにして売ることで収入を得ることになっている。また、プロセスがどうであろうと発進される情報はジャーナリズムとして成立するだけの質を備えなければならない。

ここで問題となるのは、参加型ジャーナリズムの成立要件がその取材プロセスの開示をも含むのかどうかだ。

もし参加型ジャーナリズムが「取材プロセスの開示あるい他者との共有」を含むのだとすると、発信者と受信者の情報ギャップは小さくなる。そうなると、発信者と受信者の情報ギャップを利用したビジネスは成立しなくなる可能性がある。

したがって、参加型ジャーナリズムがビジネスとして扱えるトピックは、発信者と受信者の情報ギャップが比較的小さい事例に限られてくるだろう。例えば、既に公になった事件の追跡取材などのように。

そのようなケースでは、情報ギャップの大きさはさほど大きな問題ではなく、取材プロセスを含めて発信される情報のクオリティそのものが競争力となる。それとは別に発信者と受信者の情報ギャップを利用したビジネスにこだわるのであれば、一次情報の提供に専念するしか可能性は残されていない。

参加型ジャーナリズムの前に存在するこの問題を突破するような革新的なビジネス・モデルを構築しないことには、参加型ジャーナリズムが成立するのはかなり先の未来になってしまうような気がする。

「意外に、『電車男』やP2Pで流されるMP3ファイルにヒントが隠されているのかもしれない」などと夢想はするが、具体的な突破口はいまだに見いだせない。

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…つらつらと、こんなこと書いている間に隊長と湯川さんが似たようなことを既に上げてた。シクシク...

Posted by tomo at November 16, 2004 10:59 PM | ESSAY | TrackBack |

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