ネットは新聞を殺すのかblog:日本でネットとリアルの社会が分断されている理由
切込隊長BLOG:メディアとネットに「格差」があるという議論はおかしい
ツッコミ入れようと思っていたら隊長に先を越されたので書き直し。
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日本におけるBLOGムーブメントにおいて、完全に欠落してしまった問題の影響を感じてしまう。
なぜか日本では「BLOG ≒ 日記」だと勝手に思われているが、BLOGが成立してゆく過程を追いかけてみると、BLOGは決してダイアリーではないし、ジャーナルでもない。
とりあえず、tsuruaki_yukawaさんにはレベッカ・ブラッドの著書を強く薦める。特に第1章の「ウェブログとジャーナリズム」という項目は、BLOGとジャーナリズムの問題について語るのであれば必ず一読しておくべきだと思う。
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基本的には、先日のエントリーと重複する部分もあるが、ネットワーク上で行われる論議がジャーナリズムになるのかという問題。
キムタケ自身が香ばしいのはもういいとして。キムタケ・ココログを読んだ時の違和感に戻ろうと思う。
まずはじめに最も強く感じた疑問。その最も顕著な例が「ブロガー新聞」。
このページを読むとよりよく感じられるが、最も強い違和感を抱くのはキムタケがモロにテレビなノリで書いている点にある。あそこで見ることができる態度は、よーするにウェブ初心者にありがちな誤謬なのだが。
BLOGの実体がよくわからないので、なんとか既存の媒体になぞらえてカタチをとらえ、思考の起点を作り、理解しようとしているわけだ。
…なんとも微笑ましい。
キムタケが提唱している「ブロガー新聞」の本質は、図らずも本来の意味でのBLOGを指している。新聞と名乗ってはいるが、実はBLOGそのものであるという罠。う〜ん…(w
『日本でネットとリアルの社会が分断されている理由』からは、そのとき感じたのと同じような違和感が感じられた。
「新しい形のジャーナリズムが花開くような気がしてならない。」という一言を書くために、米国の状況との対比を軸にしてもっともらしいロジックを組み立てようと試みているわけだが。なかなか面白い誤認がちりばめられていたりするので、釣りネタか?と思うくらいツッコミどころ満載でなかなか味わい深いエントリーだ。
とりあえず詳細は隊長のエントリーを見てもらうとして、ここでは一つだけツッコミを入れておく。
この人、「リアル層=じーさん」「ウェブ=若い人」という、なんとも微妙な構図を前提に据え、ウェブとリアルの関係を世代論に置き換えて考えようとしている。リアルとウェブをどーしても分離して考えたいらしい。実に男前な大雑把さである。
結局、この人もウェブを捉える視点を得るためにメタファを必要としているのだ。キムタケと同じく、ちょっとアタマがカタい。
ウェブのカタチを理解するというのは、世界のありようを理解するのに似ている。ただしウェブの場合はリアルな世界よりは限定的な存在ではある。しかし、それでもなかなかに不可思議で実体を言い当てるのは難しい性質を持っている。これまでに、類似する存在がなかっただけに、新しい概念の獲得を苦手とする人にとってはやっかいな存在だろう。
ウェブ(あるいはBLOGと言い換えても大きな間違いではない。)という概念を理解するためには、考える以前に、ますはそれを使い続けて経験を深めなければならない。その経験が蓄積されて行く中ではじめて自分独自の視点が芽生える。恐らく、このエントリーの書き手はこの種の問題を論じるにふさわしい量のウェブ経験を得ていない。そのせいでメタファが必要になる。
大人はヘタに知恵があるせいで、未知の事象に対してはじめから仮説を立てて斬り込もうとする。「先入観」とも言うが。
この人に言えることは一つ。もっと時間をかけて、ウェブを、BLOGを、体験する時間を蓄えてみたほうがいいということ。(私は今でこそこんなことを偉そうに書いているが、この程度の視点を得るために約10年の歳月が必要だった。)
それでもあえて予想すると、ウェブが「ジャーナリズム」そのものになる日は来ないと思う。なぜなら、読み手と書き手に境界線がなくなってしまえば、それは純粋に議論であるか、単なる情報伝播の形態のひとつであり、それはもうジャーナリズムとは呼ばないだろうから。
最後に、レベッカタソの名言を引用しておく。
レベッカ・ブラッド(著)/yomoyomo(訳)『ウェブログ・ハンドブック—ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス』毎日コミュニケーションズ(2003年)、p.39より
…ウェブログをジャーナリズムと主張するのは、ジャーナリズムと影響力をごっちゃにしている。…
Posted by: 湯川 at November 16, 2004 8:13 AM
コメント、どうもです。いろんな要素を持ち込みすぎたせいで、論旨がボケました。(すみません。)
私が感じている違和感の原因は、その「参加型ジャーナリズム」というものにあります。(実は、正確な定義を知らないので誤解しているかもしれませんが。)
ウェブの持つインタラクティヴな性質が多くの人に発言の機会を与えるのは間違いありません。しかし、その発言のすべてが報道となる資格を得るわけではありません。
たとえウェブでなされた発言による事実提示が報道たる質を備えていたとしても、それは単に媒体が変わっただけで報道であることには変わりないと思います。
ウェブの強みはジャーナリズムのアウトサイドにいたからこそ生まれたと私は感じています。
BLOGで行われる発言の多くは報道たる質を備えていません。しかし、それでもそこで交わされる論議に意味があるとすれば、それは各個人が主体的に考え、発言するなかで、自分自身にとっての真実を発見するプロセスにあると考えます。それは明らかにジャーナリズムではあり得ませんが、逆にそれがBLOGを生み発展させてきた最大の原因だと考えます。
そこで必要とされるのはジャーナリズムというお墨付きではなく、各個人が主体的に考えようとする意思とその行為です。それを指して「新しいジャーナリズム」と呼んでしまうのにはちょっとムリがあるような気がします。
そんなわけで、つたないながらも反論を試みました。(笑)
Posted by: tomo at November 16, 2004 10:46 AM
ありがとうございました。そうですね。参加型「ジャーナリズム」という表現が問題なんでしょうね。ブログには可能性があることは認めるけど、そんなのジャーナリズムとは呼べないだろ、ということなんだと思います。そういう意見の方がやはり多いですね。ジャーナリズムという表現を使うのをやめたほうがいいのかもしれないですね。少し考えてみます。ありがとうございました。
Posted by: 湯川 at November 16, 2004 5:42 PM
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トラバありがとうございます。
理解するためにメタファを使うのか、理解していてもメタファを使うしかないのかー。読者を1つの層に特定し、その層の読者のためにメタファを使うということもあるということをご理解ください。別の層の読者からは簡略化しすぎ、大雑把すぎ、という批判は当然覚悟の上で文章というものを書いていかなければならないのだと思います。
ウェブを使い込んだ歴史では、わたしは日本人の中で最も早かったのではないかと思います。ネットスケープがまだモザイクコミュニケーションズと名乗っていた時点で取材し、ウェブを体験していますから。「接続業者」「閲覧ソフト」などといった造語に近い訳語を考え出さなければ、理解してもらえなかった時代です。そのころシリコンバレーを拠点に取材を続けていた日本の報道関係者はほかにいませんでした。96年ごろには日経が支局を設けましたが・・・。
レベッカの本は読んでいませんが、彼女の主張は別の論文で知っているつもりです。参加型ジャーナリズムについて米国でもいろいろ意見のあることは存じ上げております。
次のエントリーでも書きましたが、貴兄のようなベテラン向けに書いたエントリではないので、貴兄には不満のある文章になったと思います。お付き合いさせて申し訳なく思いますが、そこのところをご理解いただければ幸甚です。
これからもドシドシ反論していただければ、と思います。貴兄のように紳士的で、かつ質の高い議論は大歓迎です。