§ 気になる映画3本

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とりえあず、この3本は見ようかと。

(ここに<イノセンス>が入っていないのは既に見たからではないのだけど…。)

ちょっと違う視点からこの3作品を眺めてみると、ちょっとした共通点があることに気づきます。

これらの作品には、人に似た異形のもの、あるいは人であった過去を持つ異形のものが登場します。それらは人間離れした力を得ていますが代償として一般的な人としての肉体を失っており、そのことによって一種のアイデンティティ・クライシスを抱えています。一般的な意味での人としての肉体と過去を持ち精神は人であるが、人ではない体を得てしまったが故に自分が人であるという認識できる多くの属性を失ってしまったのです。また、「人」であったが過去を持つ故にそれらの異形のものは人を愛することを知っています。しかし、自分の体が既に人としての肉体を持たないことに非常に大きな悲しみを感じてもいるわけです。

子ども騙しな世界観でみると、人間離れした能力を得たそれらのキャラは「ヒーロー」と呼ばれてもおかしくないわけです。皆、さまざまな悪から人々を護ることを使命とし、また、そこに自身の存在意義を見いだしています。そこだけ取り出してみれば立派な志を持っっているわけなので少しは誇らしく感じて晴々と生きてもいいのでしょうが、しかし、そのヒーローたちは常に苦悩します。

でも、何故苦悩するのでしょう?

SFの世界では何度も語り直された主題ではありますが、ちょっと現実的なシチュエーションに置き換えて考えてみると、それが投げかける疑問はとても重く深いことがわかります。たとえば、何らかの理由で五体満足ではない状態になった場合。あるいは、何らかの機械の助けなしには生命を維持できなくなった場合。あるいは、老いて機能不全をかかえてしまった場合…。

体が変わってしまったからといって心のあり方が変わってしまうわけではありません。精神に人としての本質を見ることができれば、体を失ったとしても人は人でありつづけることができるのでしょう。しかし、苦悩するのですよ、彼らは。それは、自分を人として実感するために、体から得ることができるよろこびが果たす役割の大きさを示しているとは言えないでしょうか。

そこまで考えて、やっと思だしました。子育てにおいて「肌の接触」が果たす役割の大きさを。それは大人になってからも大して変わらないわけで、もし肌の接触が必要ないのであれば一生に数回しかセックスなんてしないでしょう。

逆に言うと、<攻殻機動隊>を含めて、これだけ「人としてのアイデンティティ」について問いかける作品が近年になって題材として取り上げられるのは、それだけ自らの存在に疑問を抱く人が増えたということなのでしょうか。もしかすると、それくらい人が人であるために必要な属性が曖昧になってきて、自らのアイデンティティに対してうっすらとした不安が生まれつつあるのかもしれないですね。(バイオ系も日進月歩で進歩してますしね。)

…まぁ、単純に<The Matrix>の影響、ということも言えるかもしれないですけど。

Posted by tomo at April 13, 2004 10:12 AM | MISC | TrackBack |

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