§ 語ることで失うモチベーション

参考:Blogを書くことの心理的負担とそれを上回る魅力

ちょうど考えていたことと関連があるので、メモ。

先に結論を書きます。

「語る」ことは一種の快楽であり、創作行為であり、それはある種の満足感をもたらすものであるから、モチベーションの消費である。

私のように、何らかのコードをスクラッチしてそれをちゃんと動かすことを仕事にしている場合、仕事に直結するコアなトピックについて語るのは自殺行為である場合がある、ということをちょっと書いておきたい。

もしかすると、なにかしらモノをつくる(作る、造る、創る…)ことに関わっている人すべてに、ちょっとだけ関係があるかもしれない。

先に告白してしまうと、おっさんになってからの私は何事かを語って論理を完結させてしまうと、小さな満足を得てしまう。その結果、語ってしまったトピックに対するモチベーションが著しく低下する。

まだつくってもいないのに、まるで「できあがってしまった」かのように錯覚して、つくりあげるために必要なモチベーションを完全に消費してしまってバーンアウトする。それも語った直後に。だから、モノ(私の場合コード)をスクラッチする前に仕事に直結する話題について語ってしまうと、手が動かなくなる(何もつくらなくなる)。

私にとってそれを避けるための唯一の方法は「言葉で語らないこと」である。

できあがったモノで語る、といってしまうとちょっとカッコよすぎるので抵抗があるが、そう考える以外にスクラッチするために必要な精神的エナジーを得ることができなくなってしまった。

だから、日々の業務上で出てくるちょっとした思いつきとか、いい感じにまとまったロジックとか、そういったものに関しては絶対に語らないし書かない。忘れてしまうことなんてのは、結局忘れてしまうべき事柄なのであって、その知恵なり知識なりを無駄に所有したいという欲望は(私の場合)捨ててしまうべき煩悩である。

つくったものに関しては、語っても被害は少ないので訪ねられると語ることができる。でも気恥ずかしいので、結局ほとんど語らない。

こういうことをしていると多くの人に誤解されたり、自分のやっていることの価値を不当に評価されたりする。ついでに「もっと語ってよ!」とか怒られたりする。(…ウザい!)

でも、なぜ語らないかといえば、スクラッチしたあとに得られる精神的快楽のほうが大きい満足を得られるからである。所詮、語ることによって得られる快楽は自分の予想の範囲を超えない。言葉によるコミュニケーションでは、相手に伝わらずに失われてしまうニュアンスが多くて、語っているとき常に「むなしさ」を感じる。

世の中にはよく語るクリエイターとかアーチストがいる。ああいった行為は何らかの使命感がなければできないことだと思う。まさに尊敬の対象である。

語ることをメインの業務にしてしまえば、語るためのモチベーションがあればいい。ある種の人々に向けて語ることは重要な意味がある場合がある。しかし、それは私の仕事でも使命でもない。

…ってなわけで、ココに並べているトピックというのは、自分にとってはメシダネでもなんでもなく、失ってもどうってことない趣味的な事柄なのです、ハイ。

Posted by tomo at February 18, 2004 1:44 PM | MISC | TrackBack |

Comments

TBありがとうございます。
大変参考になるエントリーでした。
>それを避けるための唯一の方法は「言葉で語らないこと」
私自身、その答え(方法)を探すべく、悩んでいたのかもしれません。

Posted by: say-go-69 at November 18, 2004 11:03 PM

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