OFFICIAL: The Matrix Revolutions
MatrixWiki
品川プリンスシネマ
やっと見に行くことが出来た。品川プリンスのプレミアム館で見たおかげか、人もまばらでじつに快適。平日の昼間だったからってこともあるかもしれない。
The Matrix は最初に見たときから、「あ、これは…」って感じで、すんなりと受け入れることができた。トリロジすべて見終わってもその印象は変わらない。ウェブを見てると『Revolutions』に関しては文句いってるヤツが多いように感じるが、前2作から続けてみるとそれほど悪い結末とは思えない。むしろ、納得感が強い。いわゆる映画ファン(マニア?ヲタ?)からすればオチがつまらないのかもしれないが、とりあえず自分的にはそういう意見は無視。たとえそれを言ったのがたけしであっても。
この映画のテーマをどこに見いだすかというのは、見る側の個性というか感性に完全にゆだねられている。どうやって鑑賞してもそれなりに見られるようにできている。そういう観点からみても評価に値する内容を持っていると思う。
しかし、この作品の最大のテーマは認知および認識の境界およびそこをさまようときの心理にあると言いたい。「リアルとヴァーチャル」これらの境界を人はどのようにして認識するのか、あるいはしないのか。そこから何か新しい精神のありようを見いだすことは出来るのか…。
脳についてちょっと調べたり考えたりするとすぐにわかるが、通常我々の感覚がリアルとバーチャルを区別するために利用できるのは五感から入力される情報の量の違いしかない。今のところ一般のヒトであれば脳に直接的に信号を入力することはできないので、バーチャルなものであれリアルなものであれまったく同じルートをたどって認識される。ある事象がバーチャルであると認識されるのは、そこから入力される情報の量が少ない(あるいは欠落していると感じられる)からである。
少なくとも概念の上では、バーチャルはリアルであり、リアルはバーチャルであるとも言える。あらためて指摘するまでもない。
しかし、幸か不幸か今の私たちは有機的な体を持ち、その体の物理的な限界によって生命が規定される。
それ故すべてはリアルに帰結する。バーチャルもリアルなのだ。体を維持することで脳を立ち上げておくことができる。それによって精神的な自由を獲得できるが、心臓が止まれば精神の自由は失われる(と思われる)。
物理的には客観的事実は存在するかもしれない。(量子物理学からみればあやしいものだが。)しかし、それを的確にとらえる術を人は持たない。一人の人間が唯一絶対の事実にアプローチする方法は限られている。事実が持つ情報の一部をとらえることができるだけだ。それを持って事実を知るとは言いがたい。事実は感じるものである。それはその人固有の唯一絶対の心理的体験であり、そして、その感覚は他の誰とも共有することはできない。言葉や音や絵によって伝えることは出来ても。
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