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   <updated>2008-10-01T08:17:00Z</updated>
   
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   <title>How Beautiful</title>
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   <published>2008-09-24T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:17:00Z</updated>
   
   <summary>色彩感、遠近感、両面の急激な対比がドラマチック。この軽い眩暈のような揺らぎがたまりません。</summary>
   <author>
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      <![CDATA[<a href="http://yugop.net/blog/2008/09/how_beautiful.html" target="alt">nisshi.yugop: How Beautiful</a>
<a href="http://www.uniqlo.com/merino/tvcm.html" target="alt">COLOR IS COMFORT. TV-CM - UNIQLO ユニクロ</a>

FRさんのタイアップ取ってきてくれないかなー。]]>
      <![CDATA[<div><object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/jhxow0dW8jA&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/jhxow0dW8jA&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object></div>

UNIQLOの新しいCF。

これに土岐さんが出てるってのは<a href="http://natalie.mu/" target="alt">ナタリー</a>経由で知ってた。
そしたら監督は中村勇吾だった。
この間のクアトロのライブのとき、
「ゆーご来てるらしいよ」っつーのを立ち話で耳にしたけど
そういうことだったのね。

<a href="http://miamoto.net/repository/000283.html" target="alt">数年前に盛大に告ってる</a>身としては
いいなー、いいなー、と素直に羨んでみる。
ホント、羨ましい。

----

以下、まじめな話。

今回のCF、土岐さんが出てなくてもぐっと来ると思う。
なぜか唾液出る。

色彩構成と素材の質感に加えて、巧みに遠近感が利用されている。
この色彩と遠近のデフォルメが絶妙で、広大な映像空間を感じさせる。
途中から、舐めるように寄ることで距離感をつぶし、
同時に影を利用して彩度と明度を落し、
これまでに演出したテイストを一旦リセットする。
その後、土岐さんにつないでから急激に視点を引き上げ、
もう一度最初のカラフルで広大な映像空間へ引き戻す。
色彩感、遠近感、両面の急激な対比がドラマチック。
この軽い眩暈のような揺らぎがたまりません。

色と素材のシズル感（って言っていいのか？）を雄弁に主張しつつ、
そのコンテクストに土岐さん絡めてるせいで
見事にエロい。
土岐さんだから適度なクールさを保ててるけど、
映像表現の潤いが高いから
やっぱりエロい。
唾液出る。（食いもんじゃねーっつーの

----

こういう表現領域って広告以外で成立するのかな？
知らんが。
でも面白いな。
僕は出来ないけどね。

結論：yugopすげー。]]>
   </content>
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   <title>Short Notes from the Long History of Happiness</title>
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   <published>2008-09-19T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:20:06Z</updated>
   
   <summary>『Short Notes from the Long History of Happiness』って本が大好きで、もう何度リピートしているかわからない。

</summary>
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      <name></name>
      
   </author>
         <category term="ESSAY" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="3" label="book" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      <![CDATA[<a href="http://www.leunig.com.au/" target="alt">Michael Leunig</a>っていうオーストラリアのアーティストなんだけど。
この人の『Short Notes from the Long History of Happiness』って本が大好きで、
もう何度リピートしているかわからない。

]]>
      何年前だったか、もう忘れちゃった。
友だちの一人がこの本を僕に紹介してくれたんだ。
その人はとても美しくて、聡明で、且つ、とても個性的だった。
僕は彼女の顔に見とれながら、とりとめもなく話し続けるのが大好きだった。

始めは、アニメ、美術、建築、など
ホントにとりとめもなくいろんな話題について話した。
そのうち、自然な流れで音楽の話になって、
僕ら二人ともRadioheadやMatthew Herbertに傾倒していることがわかって。
その後の話題は音楽一色になった。
僕らはずっと音楽の話をしていた。

彼女が帰国する直前のある時。
この『Short Notes』を持ってきた。
大好きな詩集だから読め、って。

その場で読み始めたのだけど、
どうってことない日常の一コマから
当たり前だけど特別な瞬間を切り取った
とても素敵な詩集だった。
素朴さを保っていて、ごく自然に心に沁みてくる文。
すごく簡単（？）でキュートな挿絵が入っているのだけど
それも作者自身が書いたものだった。

すっかり魅了されてしまった僕は
とりあえず気に入った詩をいくつかピックアップして
コンビニでコピーさせてもらった。

家に帰ってからインターネットで検索。
ホントに世界中のサイトを見て回ったのだけど、
その時は運悪くUSのアマゾンの中古しかなかった。
それでも僕はあの本が欲しくて
その本をマーケットプレイスで買った。

それが今も手元にある。
心が萎えたとき、
繰り返し、繰り返し、読む。

癒されているのかはわからない。
でも、ここにある詩がくだらない悲観から
僕を守ってくれているのは確かだと思う。

なんだか心が痺れてよくわからないときでも
踏み外すわけにはいかないから、
こんな本を読みつつ、
萎えた心を奮い立たせる。


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   <title>創造の核心</title>
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   <published>2008-09-18T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:21:30Z</updated>
   
   <summary>独創的な創作を続けていくにはどうしたらいいのか、というお話。

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   <category term="4" label="misc" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      独創的な創作を続けていくにはどうしたらいいのか、というお話。
かつてこの問題についてかなり長い時間考え込んだことがあって、
個人的に得た結論を書いておいてもいいのかと思った。


      <![CDATA[自らのスタイルを確立したうえで活動を始めたのであれば、
淡々と書き続けるだけなのかもしれない。
でも、そうじゃない場合、一定の分量で仕事をこなしつつ
独創性を育てていかなければならなくなる。
個人的な感想だと、特に初期に個性的な作品を残した作家ほど
自らのスタイルを見いだすのに苦労しているように見えた。

これは音楽の世界でもまったく同じ問題がある。
独創的な作品を残した作曲家は、必ずと言っていいほど
大きな苦労を背負いつつ創作する。

例えば、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E6%BA%80%E5%BE%B9" target="alt">武満徹</a>。

彼の場合、数多くの楽曲を残しているわけだけど、
芸術としての純音楽作品だけを作曲していたわけではなく、
初期の創作のほとんどは映画音楽だ。
もちろん武満自身が映画好きであったことも幸いしただろうが、
彼はその仕事を通じて数々の実験・試行を行い、自らの独創性に磨きをかけた。
その経験を通じて、後の作品にあらわれる独創性を培った。

武満徹が武満徹足り得たのは、映画音楽の仕事を単に糧を得るためではなく、
実験・試行の場として活用したその姿勢にあると思う。
映像のための音楽という制約の下にありながら数々のアイディアを投下し、
音楽表現の自由を求めて新たな表現の可能性を追求し続けた。
逆に言うと、厳しい制約の中で徹底的に追求された表現の自由が
彼の才能を開花させたと言って差し支えないと思う。

----

無限の選択肢を得た時、人はしばしば呆然と立ち尽くす。
あるいは、自ら制約を作り出し選択を始める。
その最初の制約を自分の中から勝手に選び取る行為が
あらゆる創造の原点となる。

最初の制約一つを選ぶために人が利用するのは、
記憶であったり、その場で発見した何かであったりするが、
とにかく、非常にわがままな理由で選択された制約を素材として展開を始める。

制約によって限定された世界は容易にその限界を見せる。
制約が詳細であるほど、その世界は明確な輪郭を持ち、
一つの型として認識される。

制約条件下での多様性の追求という行為は、
この型を使いこなす方法を追求していることになる。
型の特徴を知り、それを生かすアイディアを探すわけだ。

ここで十分に発想の柔軟性を培わなければならない。

まず、記憶を総動員して過去に経験した型を思い出し、
制約に適合するものを選び出す。
次に、選んだ型を組み合わせて新しい型の可能性を検討し、
気に入ったものをさらに選び出す。

原点となる着想は自らの思考が自然にたどる軌跡の場合もあるし、
他人が見せた思考の軌跡を学ぶことによって獲得する場合もある。

ここで着目すべきなのは、これらの行為が
すべて記憶に基づいているという点だ。

つまり、創造行為の核心は記憶の照合と展開なのだ。
したがって、記憶の量、あるいは、思い出せるアイディアの量が
創造の豊かさを決定的に左右する。
あえて言うが、記憶は多いほどいい。
過去に経験した型が多ければ多いほど、豊かな発想を得ることが出来る。

ただしここで、気をつけなればならないのは、
これらのプロセスをすべて意識的にやっていたのでは、
独創性に欠けてしまうという点。

この問題をクリアするためには、脳が持つ機能に頼らなければならない。
つまり、一度忘れるのである。

この忘れるという機能のおがけで、溜め込んだ記憶が洗練され
自分の個性にあったものが取捨選択される。
さらに、一度忘れた記憶を呼び出す際に混乱が生じることがあり
うまい具合に記憶がシャッフルされることがある。
その時の混乱が新たな着想を生み出すことがあり、
それがまた独創性につながったりする。

詰め将棋に始まり、過去の棋譜を研究し尽くした棋士が、
ある時、独創的な指し手を編み出すのはその良い例となるだろう。

----

結局、創造行為の核心は、
記憶に基づいて行われる、制約の選択と展開、にある。
制約を自在に利用できるようになれば、
自由を感じることは出来るだろうが
それでさえまったくの自由というわけではない。
小さな制約の多様な結びつきによって、
複雑な制約が醸造されているにすぎない。

もし、自由に創造していると感じているのだとすれば
それは創造のプロセスに、単に無自覚であるだけなのかもしれない。

自らの創造性を発展させたいのであれば、
記憶を溜め込み、展開するという
とても地味な作業を繰り返して、脳を耕していくしかない。

今現在の自分が何の努力もなく発想できる着想のバリエーションが
現在の自分の限界となる。
しかし、これは絶対的なものではない。
面倒くさくて、イライラするけれど、
じりじりと続けることで、限界を押し広げることができる。

だから、限界を超えたいと願う人に必要なのは、
本人の強い意志と、周りの人のちょっとした理解と励ましだ。

]]>
   </content>
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   <title>Changeless Trust</title>
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   <published>2008-09-17T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:22:11Z</updated>
   
   <summary>キース・ジャレットが来日すると、人生の転機が訪れる。
あるいは、人生の転機にキース・ジャレットが来日する。

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      僕には変なジンクスがある。

キース・ジャレットが来日すると、人生の転機が訪れる。
あるいは、人生の転機にキース・ジャレットが来日する。
どっちが原因で結果なのかは、どうでもいい。
またしても僕は人生の転機にあって、性懲りもなくもがいている。
とにかく、この不思議な因果が彼の音楽の性質とマッチして
とても不思議な気分になるのだ。

僕が彼の音楽を初めて聴きいたのは、小学生くらいのときだと思う。
あの当時バカ売れした『ケルン・コンサート』をどこかで聴いた。
そのどこかでというのが微妙で
何度も聴いたはずなのに、ハッキリ思い出せない。
…というのも、18歳の時にケルン・コンサートを聴いて
これは聴いたことがある、と思い出したからなのだが。

僕は彼の音楽に心の底から心酔していて、
自分の音楽性形成の上でかなり深い影響を受けている。
それは音楽の様式的特徴の嗜好というよりも
音楽に対するコンセプトとでも言うべき部分で
音楽とは何か、という命題に応える内容だ。

キースの音楽はその即興性にすべての特徴が集約される。

たとえスコアミュージックを演奏する時でも、
彼の演奏の根底に流れる即興性は失われない。
少なくともそれを感じさせるように演奏する。
一回性、流動性、多様性、そして即時性、
彼の演奏が持つそれらすべてが音楽へ生命を与えている。
その生々しさが彼の音楽の最大の特徴なのだ。

音楽において生命感はその呼吸によって表現される。
さらに具体的に言うと、旋律を処理する手際の妙技によって
あたかも旋律が呼吸しているように聴かせることで表現される。
歌はそれを直接的な方法で表現してしまうが、
器楽の場合、フレーズが呼吸しているように聴かせるためには
それ相応の技術的習熟が必要なのだ。

キースの音楽は常に呼吸している。

各音楽要素のコンテクストが緊密に関係づけられている。
しかも、それぞれが常に息づいており、
あたかも音楽全体が一つの生命を持っているかのような
生々しさを感じさせる。

実際、彼はピアノの演奏中に弾いているフレーズを歌っていることも多い。
潔癖性なクラシック音楽ファンはそれをノイズと呼ぶが、
僕らはそれさえも彼の表現の一部としてとらえる。
この違いは彼の音楽を理解する上で、重要な鍵となる概念だ。

キースが従っているのは音楽そのものであり、
現象としてのサウンドではない。
だからこそ彼の音楽は息づき、生命を感じさせ、
誕生する瞬間に大きな感動をもたらす。

今年の5月に自身のソロコンサートのために来日していたキース。
初日の横浜で聴衆へ向けて言った感謝の言葉がこれだ。

Thank you for the trust.

音楽を信じてくれてありがとう、と。そう言ったのだ。
彼のようにシリアスな音楽を演奏できる音楽家は
もうほとんどいない。
もし聴衆が、この種の音楽を、音楽の真実を信じなくなったら
この音楽の生命は終わる。

だから、彼は感謝するのだ。
シリアスな音楽を聴いてくれて、信じてくれてありがとう、と。
僕は彼が生き続ける限り彼の音楽へ変わらぬ信頼を捧げ、
そこから学び続ける。

音楽とは何か、を。


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   <title>Esbjörn, I am thinking of you</title>
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   <published>2008-06-16T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:29:55Z</updated>
   
   <summary>スウェーデンのピアニスト、Esbjörn Svenssonがダイビングの事故で亡くなった。</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      <![CDATA[<a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7456031.stm">BBC NEWS | Europe | Jazz champion Svensson dies at 44</a>

Esbjörn, I am thinking of you and praying for you.
I still love your music and personality.
I never forget your contribution for music.
R.I.P.
]]>
      <![CDATA[スウェーデンのピアニスト、Esbjörn Svenssonがダイビングの事故で亡くなった。今はただ、彼の魂が安らかに眠ることを祈るのみ。

参考：<a href="http://miamoto.net/repository/000039.html" target="alt">e.s.t. : miamoto.net</a>

Esbjörn Svensson Trio - Dodge the Dodo(Live)(Part 2/2)
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/SbL5qCVrbCE&hl=en"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/SbL5qCVrbCE&hl=en" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344"></embed></object>

Esbjörn Svensson Trio with Schleswig Holstein Chamber Orchestra, Pat Metheny and Nils Landgren - Believe Beleft Below
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/sc2mEtmxwDw&hl=en"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/sc2mEtmxwDw&hl=en" type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344"></embed></object>

Keith Jarrettがトリオで伝統的なJazzに集中している今、彼の率いるe.s.t.がメインストリームのJazz音楽を進歩させている唯一のグループだった。ヨーロッパのJazzグループであるにもかかわらず、e.s.t.がDownbeatの表紙を飾ったことには重要な意味があった。

ピアニストとしての彼の力量は抜きん出たものがあり、音楽的独創性そしてテクニックの両面において、比肩する者は非常に少ない。また、彼に似たスタイルを持つピアニストがいない現在、e.s.t.が切り開いた新しいJazzの地平を継承できる者など存在しない。

しかし、もう失ってしまったのだ。

正直な話、Keith Jarrettの後に続く偉大な個性は彼しかいないと思っていた。この現実にどう対処したらいいのかわからない。

僕らはどこに希望を見いだしたらいいのだろう？]]>
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   <title>The Compilation</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://miamoto.net/repository/000304.html" />
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   <published>2008-02-23T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:31:34Z</updated>
   
   <summary>自己ベストのコンピレーション。</summary>
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   </author>
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   <category term="4" label="misc" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      自己ベストのコンピレーション。

手前味噌すぎて今までためらっていたけれど。久しぶりに自分で自分のBlogを読み返してみたら新しい発見があったので、自薦エントリーをピックアップ……。

ホントにごめんなさい！もうしません。
      <![CDATA[一応、客観的な選定基準はある。ログをざっとみて定期的にトラフィックのあるエントリーを抽出。さらに内容を吟味して、賞味期限の切れていないものを残してみたつもり。では、どうぞ。

<h4>REVIEW</h4>

<a href="http://miamoto.net/repository/000186.html" target="alt">§ yugop作品の魅力</a>
<blockquote><p>…操作感云々以前に作品の根底にあるコンセプトの独創性を見逃してはならない。そのコンセプトの独創性があるからこそユーザ体験を「シンプルな規則性」へ還元できるのであり、これなしにyugop作品の持つテイストは完成しない。…</p></blockquote>

あまり真剣に論じられない中村勇吾作品の本質に迫ったエントリー。本人コメント必見。


<a href="http://miamoto.net/repository/000222.html" target="alt">§ amaztype雑感。</a>
<blockquote><p>…経済の対局にあるアートワークが自ら経済をまとうことによって生まれる逆説的な組み合わせの妙味がamaztypeの面白さの本質であると思われる。…</p></blockquote>

yugop作品の一つ、amaztypeへの批評。ついでにアートと広告の関係についても言及。


<a href="http://miamoto.net/repository/000013.html" target="alt">§ 灰羽連盟</a>
<blockquote><p>…「自分にはたすけてもらう価値のあるのか？」という問いには自分では答えられない。この問いの無限ループから抜け出すには「自分ではない他人」のたすけが必要なのだ。しかし、「たすけて」というためにはこの問いの迷路から抜け出さなければならない。抜け出すためには「妥当性」ではなくてたすけてほしいという、理性を超えた感情というか「想い」が必要だ。また、そんな人をたすけるために必要なのも理性を超えた想いなのだ。誤解を恐れずにもっと言ってしまうと、愛しているからこそできることであって、それは理性から導きだされる妥当性によるものではないのだ。…</p></blockquote>

アニメの紹介のつもりだったのに…。自分的にかなり印象深いエントリー。


<a href="http://miamoto.net/archives/000322.html" target="alt">§ 土岐麻子に告ってみる。</a>
<blockquote><p>…土岐麻子の歌に見える「隙」というか未完成さからは、彼女の穏やかな感性が伝わってくるし、それによって彼女は歌に個性を与えているように思える。だから、正直に言うと、歌はあまり上手になりすぎないでほしいなんてことを思っていたりして…。</p></blockquote>

<a href="http://miamoto.net/repository/000276.html" target="alt">§ 土岐麻子『Debut』</a>
<blockquote><p>…まず特筆しておきたいのは、土岐麻子の作詞能力。ハッキリ言って、そこいらにころがっているエセ詩人が消し飛ぶ、強い個性を感じさせる。…</p></blockquote>

土岐麻子三部作（？）のうちの二つ。わりとちゃんとした土岐麻子ガイドになっていると思うけど…どうでしょう？


<a href="http://miamoto.net/repository/000245.html" target="alt">§ 佐渡裕＆シエナ・ウィンド『ブラスの祭典 ３』を聴いてみた。</a>
<blockquote><p>…佐渡とシエナがチャレンジしている表現の方向性は多いに可能性を感じさせるものであり、このまま成熟してゆけば他に変え難い個性となるだろう。大きな困難を伴う作業ではあるが、俗っぽく媚びずにこのままチャレンジを続けてほしいものだ。…</p></blockquote>

ハッキリ言ってウィンドミュージックは素人だけど、それなりにちゃんとした考察を入れてみた。


<a href="http://miamoto.net/repository/000288.html">§ 東京のオペラの森／ヴェルディ：レクイエム</a>
<blockquote><p>…フェスティヴァルというレアな状況が生み出した副産物ではあるのだが、今回の彼の指揮ぶりには、このような彼の音楽づくりの意図が、普段よりも明確に表現されていたと思う。そのマエストロの意思表示を得て、今回の演奏者たちは文字通り最善を尽くしたと言ってかまわないと思う。…</p></blockquote>

<a href="http://miamoto.net/repository/000147.html" target="alt">§ Jon Nakamatsu played Tchaikovsky</a>
<blockquote><p>…どの局面においても「演技過剰」になることなく、その楽曲が元来備えている美質をあざやかにヴィジュアライズした点にある。わざとらしいギミックを用いることなく、楽曲中に現れる動機や主題を的確に描画することで、あくまでも自然に（そう感じさせるように）それぞれの要素の性格の違いを描き分けていた。緩急自在な表現と書くと陳腐だが、そう表現するしかないだろう。それが非常に高いレベルで達成されており、その小さな積み重ねが全体的には非常にドラマティクな対比につながっていた。このあたりのセンスの良さは、彼が単なるピアニストではなく完成された音楽家であることを示していると思う。…</p></blockquote>

どちらも名演だった。

<h4>BUSINESS</h4>

<a href="http://miamoto.net/repository/000290.html" target="alt">§ 決め手はiPodとのコネクティヴィティ</a>
<blockquote><p>…iPodが携帯電話ではないという一点こそが、iTunesが着うたに対して持つ最大のアドヴァンテージだ。iPodユーザは音楽を楽しむ際に、コミュニケーション機会の損失リスクが存在しない。iPodのバッテリーが切れたところでそれまでのことで、携帯電話は問題なく使える。…</p></blockquote>

ケータイ、iPod、着うた、それにiTunes。これらに言及した中では自己ベストだと思うけど、それらのギョーカイ人にはあまり刺さってないみたい。ﾌﾟﾝｽｶ!


<a href="http://miamoto.net/archives/000267.html" target="alt">§ インターネットに放送の代わりはできない。</a>
<blockquote><p>…一部の人々にみられる「来年再来年にもテレビがダメになる」という誤解は、当面、妄想のまま終了ということになる。隊長が例示してたけど、フットボールの中継みたいに多くの人が同時視聴するようなコンテンツの配信は、やはり「放送」のほうがふさわしい。…</p></blockquote>

後半は、コンテンツ配信系ビジネスの考察になっている。


<a href="http://miamoto.net/repository/000195.html" target="alt">§ 今頃「Yahoo!ブログ」の意味</a>
<blockquote><p>…BLOGは単なる広告出稿先に止まらず、パーソナライズされた「コミュニケーション・プラットフォーム」として位置づけられる。それによってY!JにとってのメシダネであるPVがさらに稼げれば、BLOGは十分に商品として機能することになる。…</p></blockquote>

これを書いたのが2005年。数年後、ぜんぜん別の筋からYahoo!ブログ関連の打診があってビビった。

<h4>WEB CULTURE</h4>

<a href="http://miamoto.net/repository/000285.html">§ 匿名を貫きたい理由。</a>
<a href="http://miamoto.net/repository/000300.html" target="alt">§ 匿名を「悪」だというなら、正式な手順でそれを証明してみせろ。</a>
<a href="http://miamoto.net/repository/000301.html" target="alt">§ Webにおける「匿名」の本質</a>
<blockquote><p>…Webにおける「無名性」を匿名と非難する人は、見ず知らずの他人に対してオープンマインドにはなれないという状態を匿名という言葉を用いてカモフラージュしている。その欺瞞と裏に潜むスノビズム。私が軽蔑するのはその点だ。…</p></blockquote>

匿名三部作。セットでどうぞ。


<a href="http://miamoto.net/repository/000259.html" target="alt">§ 世界の果てと、「ストック／フロー」リターンズ。</a>
<blockquote><p>…/index.htmlに見られるBLOGのフロー的な特徴はコンテンツが露出する第一ステップに過ぎず、Permalinkを持ってコンテンツがストックされることで別の経路からの露出に備えることになる。具体的に言うと、検索エンジンにindividualがインデックスされ、検索されることによって/index.htmlとは異なるもう一つのルートを経由してコンテンツが露出される。それら相反する特徴をもった複数のルートを経由して公開されるコンテンツには息の長い生命を与えられ、エントリーを起点とした継続的なコミュニケーションの可能性を生み出す。…</p></blockquote>

実は、村上春樹風タイトルがオキニｗ


<a href="http://miamoto.net/repository/000184.html" target="alt">§ ハブ電脳待望論者なんて修正してやる</a>
<blockquote><p>…人が持ち得る意見は際限なく連結され対比されるプロセスを経る。その結果として生成される情報は、想像し得るかぎりのあらゆる視点からの意見が網羅されたカタログのようなものになるかもしれない。恐らく類型化され得る意見はカタログにすべて網羅されることになるだろう。…</p></blockquote>

キムタケからセマンティックウェブまて強引に持っていったエントリー。読みは外してないと思うけど。果たして、実際はどうなるのでしょう？


<h4>ESSAY</h4>

<a href="http://miamoto.net/repository/000280.html" target="alt">§ 子育て問題リターンズ。</a>
<blockquote><p>…ティーンのうちにさっさと子どもを生んで、２５歳までに子育てを一段落させるライフスタイルを、真剣に、しかもものすごい勢いで推奨したい。…<p>
<p>…おまいら、バツイチとか、子ども付き恋愛とか、いちいち気にすんな。ホントに相手のことが好きなら、相手の子どもまで含めて真剣に愛する器量を持て。それが容認できないとかいうメンタリティしか持てないなら、自分は21世紀の日本に生き残るにふさわしくないオールドタイプだと悟れ。…</p></blockquote>

子育て問題シリーズのベスト。…たぶんそうだと思う。現状認識を踏み越えてライフスタイルの提案までしてしまった、おせっかいエントリー。


<a href="http://miamoto.net/repository/000179.html" target="alt">§ NEET問題つまみ食い。</a>
<blockquote><p>…世の中のルールを見極め、知恵と行動力があればわりといろんなことができる。だから本当はどうコケてもとりあえず生きていく事は可能なのだ。ただ、そんな横道、裏道、獣道（笑）について詳しく教えてくれる大人というのはあまりいない。つーか、ダメな大人ほど「ダメになっちゃ、イカーン！」と脅すw。…</p></blockquote>

獣道って言葉を使ったのはモチヲよりも早かったってことだけは、あえて主張したいｗ


<a href="http://miamoto.net/repository/000171.html" target="alt">§ 安易に大学院に進学するのは自殺行為である。</a>
<blockquote><p>…要するに、特に文系の場合は「マスター」という学歴はなーーんにも役に立たない。わざわざ進んでそんな不利な状況に飛び込んでいくこともないだろうと思う。</p><p>しかし、それでも「研究大好き！」な輩というのは少数いるわけで。</p><p>そんな人は、ありとあらゆる才覚と運を動員して人生の醍醐味を味わってもらいたい。…</p></blockquote>

かなり熱く実感入ってます。冗談じゃありません。安易に入院しちゃダメです。結論の先送りはよくありません。


<a href="http://miamoto.net/repository/000287.html" target="alt">§ 一杯のコーヒーが与える感動。</a>
<blockquote><p>…たかがコーヒー一杯でここまでやる。また、ここまでするからこそ、通常あり得ない高さのクオリティーを引き出す。言葉のあやではなく、冗談抜きでこのおじさんはコーヒーに命を懸けているのだということがわかって、思わず姿勢を正して話をきいていた。…</p></blockquote>

あのおじさん、元気なんだろうか…。


<a href="http://miamoto.net/repository/000027.html">§ 語ることで失うモチベーション</a>
<blockquote><p>…できあがったモノで語る、といってしまうとちょっとカッコよすぎるので抵抗があるが、そう考える以外にスクラッチするために必要な精神的エナジーを得ることができなくなってしまった。…</p></blockquote>

意外な人気作。

<h4>MISC</h4>

<a href="http://miamoto.net/repository/000082.html" target="alt">§ 東京カステラの正体</a>

小鳥さんとこへのリンクだけが重要なコンテンツなのですが。自作機の前の写真とあわせたのがよかったのか…悪かったのか。


<a href="http://miamoto.net/repository/000152.html" target="alt">§ アリエンティ・サラ</a>

なぜこのエントリーにトラフィックが絶えないのか、まったく理解できない…。大したこと書いてないんですが。

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とりあえず、こんなところかと思われ。漏れているものは、そのうち別枠紹介ということで。]]>
   </content>
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   <title>やめることで得る自由。</title>
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   <published>2008-01-07T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:32:00Z</updated>
   
   <summary>ほとんど年次更新の様相を呈してきたmiamoto.netですが。新年恒例のライフネタ。...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="ESSAY" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="6" label="life" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="1" label="web" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      ほとんど年次更新の様相を呈してきたmiamoto.netですが。新年恒例のライフネタ。
      <![CDATA[<a href="http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0712/21/news006.html" target="alt">田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪：吠えるだけじゃなくて、行動しなくちゃ──IT戦士・amachang - ITmedia Biz.ID</a>

今や、すっかりJavaScript業界（？）のスタァとして定着した<a href="http://d.hatena.ne.jp/amachang/" title="IT戦記" target="alt">amachang</a>。私よりもずっと若いイケメン・プログラマの記事を読んでみて、「みんな同じようなことで悩むんだな…」という月並みな感想の他に、彼とZIGOROuさんの出会いの面白さに惹かれた。amachangにとってZIGOROuさんはまさにメンターであり、彼の助言はamachangの成長にとって欠かせない要素だったのだと気づく。

残念ながら、私はメンターと呼べるような存在と継続的な関係を結ぶことはできなかった。確かに恩師と呼べるような存在は二人いたが、その一人は既に亡くなってしまった。もう一人は、私が音楽をやめてしまった時点で縁遠くなってしまった。

Web Developerとしての私はとても怠惰で、amachangのようにこの業界を背負って立つような気概がそもそもない。その決定的な欠点のせいで、私は自分の持つ能力を十全に伸ばしきれなかったような気がする。しかし、それでも後悔はしていない。私のモチベーションはその程度のもので、食うに困らなければいいや〜的気軽さがいつまでたっても抜けない。さすがにそろそろヤバいと思うが、今さらWeb Developmentの業界でスタァになりたいとはどうしても思えないし、もう既に優秀な人たちが出そろっているので、あえて私が果たさなければならない仕事はないと思う。

そんな状態を自覚しつつ、昨年末までほぼ10年間Web Developerとして働き続けてきた。仕事自体は嫌いではなかったが、ここ数年感じている疑問やフラストレーションはそろそろ限界に達しており、今こそ何かを変えなければならない、という切迫した衝動に取り憑かれていた。そこでWeb Developerを止めることに。そして現在、既に止めた。

止めてみて最初に感じたのは「もっと早く止めればよかった」という思いだった。

私のフラストレーションの原因の多くは「作りたい時に、作りたいものが作れない」という問題に起因していた。受託プロジェクトに携わるWeb Developerであれば、目前のプロジェクトに淡々と集中して行かざるを得ず、たとえ不本意であってもオーダーにそったもの作らなければならない。Webビジネスに深く関わる者として提案することはいくらでもできる。しかし、私個人がクライアントのビジネス・ディシジョンを肩代わりすることはできるはずもなく、結局不本意なものを作らざるを得ない状況はなくならない。現状、Webアプリケーションを自由に作りたければ自分のサービスを持つしかないのだ。

そこで考えた。「私は自分のサービスを持ちたいのか？」散々自問した結果得られた回答はＮＯだった。自分が思い描いているものを作るという喜びは他に変えがたい。しかし、それをやり遂げるにはそれなりにリスクを取って、金と時間、そして、やり遂げたいという強い意思が不可欠だ。残念ながら、私にはそのリスクをとる理由が見いだせなかった。なにより、私でなければ実現できない独自性を見いだすことができなった。

結局「私は何がやりたいのか」という普遍的な疑問へとたどり着く。その結果、自分の中に残った最後の課題は「Web上でどうやって金を稼ぐか」という身もふたもないものだった。

もっと突き詰めるならば、Webにどっぷり浸かってその可能性を見極めたい、という根源的な欲求に基づいている。しかしそれは職業になり得ない。そこで、Web上で生計を立てるという可能性を追求してみることにした。簡潔に表現すると、要するにWebにおけるビジネスモデルの発明ということになる。幸いなことに、現在私が就業している会社はまさにスタートアップであり、自分の動き方によっては、いかようにも会社に影響を与えることができる。短絡的に考えれば「起業」という方法を選択するのだろうが、自分で起業する前にまずここで自分のアイディアを検証してみることにした。

…と、ここまでがこれまでの軌跡。これから先、どんな未来が待っているのかさっぱりわからない。ひとつだけ確実に言えるのは、私が冷静に状況に対処するならば道はそれなりに開けている、ということ。あとは、どこまで自分がうまくやれるか、あるいは的確にがんばることができるかどうかだけが問題だ。

今年一年、模索し続けることになると思うが、それもまたおもしろい。]]>
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   <title>選挙直前雑感。</title>
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   <id>tag:miamoto.net,2007://2.302</id>
   
   <published>2007-07-28T16:25:15Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:32:48Z</updated>
   
   <summary>国民がバカだという前提に立っているのが透けて見えてものすごく気分が悪い。</summary>
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   <category term="7" label="politics" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      今回の選挙の焦点は「マスコミ自作自演による、自民大敗報道リベンジ」である。ハッキリ言って、阿部政権云々はただのオマケだ。
      マスコミの世論操作を冷静にみられるようになると、選挙は単なるエンタテインメントの一つであることに気づく。とにかく可笑しいのは、マスコミは一斉に自民党大敗を前提に選挙について報道（？）している点。小泉内閣の最後の選挙でも、自民党大敗路線でマスコミが一斉に派手なキャンペーン打ったにもかかわらず自民大勝で、TV朝日の選挙速報における「国民の皆さん、つい雰囲気にのせられて勢いで投票しちゃったのかもしれませんが…」発言にすべてが集約されていた。

…とにかく自民党が嫌いなのはわかった。それはいい。実際、彼らが嫌われる理由は山ほどあるので。しかし、これほど公平さを欠く報道をもってジャーナリズムを語るのはどうかと思うが。ちゃんと政治エンタテインメント宣言してしまえば誰もがスッキリする。いろいろな人の利害が絡む政治の世界において、中立公平な立場をキープする人がいるなんて妄想を抱くほど、私はナイーブではなくなってしまった。

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今回の民主党の選挙マーケティングは、ハッキリ言って三流の駄作だ。ＡＤやＰＲの手法に問題があるといっているわけではない。その内容がダメだと私は言いたいのだ。

ハッキリ言って、国民がバカだという前提に立っているのが透けて見えてものすごく気分が悪い。

年金を争点化しようとしたところまではよかった。しかしなぜ今なのか。団塊世代の票集めという下心がまるみえで、実に気持ちわるい。票集めという目標からのブレイクダウンとすると悪くないかもしれないが、政治マーケティングとしては刹那的で、いかにも政治慣れしていない素人くさい戦術だ。

年金問題は今に始まった問題ではない。社会保険庁が長年抱えてきた問題をタイミングよく利用したまでで、それが阿部政権のせいだと言う論拠に乏しかった。そこがロジカルに埋められればもっと自然に流れをつくることもできだだろうに。

結局、中途半端なのだ。どこをとっても思慮が浅い。戦術としてスキャンダル等のカウンター策を利用するのはわかる。しかし、それ以前にメインストリーマーとしてのポテンシャルを十分に示さないことには、カウンター策は単なるカウンターでおわってしまう。今回の民主党＆その他野党は批判こそ饒舌ではあったが、肝心の政策論争は実におそまつで聴くに堪えない頼りなさを露呈していた。

批判のための批判は何も生まない。結局、現在の野党は野党でしかなく、内閣の組閣さえまともに出来ない人材不足に陥っている。残念ながら。そんな状態の野党政治家に投票するだろうか。それは、開票が終わるまでわからない。

白に近いグレーだが無能な野党連合。真っ黒だが、政策実現能力の高い自民党。これしか選択肢のない選挙には、正直言って絶望しか感じられない。なんなんだこの国の政治家は。
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   <title>Webにおける「匿名」の本質</title>
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   <id>tag:miamoto.net,2007://2.301</id>
   
   <published>2007-06-23T15:28:03Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:33:20Z</updated>
   
   <summary>Webにおける「無名性」を匿名と非難する人は、見ず知らずの他人に対してオープンマインドにはなれないという状態を匿名という言葉を用いてカモフラージュしている。
</summary>
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         <category term="ESSAY" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="8" label="culture" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="1" label="web" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      「匿名」と呼ばれている状態は、本当に「匿名」のことを指しているのだろうか？
      <![CDATA[goo辞書によると、匿名の定義は以下のようになる。

<blockquote><p>自分の実名を隠してあらわさないこと。また、実名を隠して別の名を用いること。</p><p style="text-align:right;"><small>--goo辞書</small></p></blockquote>

定義自体には特に目新しい発見はない。しかし、言葉の裏にあるニュアンスに着目すると、事情は大きく異なる。匿名という言葉の裏には「相手は自分を知ってる（かもしれない）」ので、「身分を隠す手段として名を明かさない」ことを選択するという明確な意思がある。この点は非常に重要だ。

「匿名」という言葉を使う場合、相手が面識のある人間であるという暗黙の前提が生じる。つまり、「匿名の人物」を非難するということは、自分の面識のある誰かを非難するということで、面識のある誰かが自分を誹謗中傷していると感じるからこそ、匿名を「卑怯」という言葉と結びつけるのだ。

そこで疑問に思うことが一つ。Web上でコメントをつけてくる人は全員知人なのか？この疑問にWebもリアルも関係ない。知らない他人が話しかけてくることは常にある可能性だ。そして、見ず知らずの他人は、常に名を告げるとは限らない。また、たとえ名前と連絡先を教えてくれたとしても、その内容が正確であるかはその場では判断しようがない。したがって、その場では相手の言葉を受け入れる以外できることはなく、その言葉が疑わしいかどうかは、限られた情報をもとに自分で判断するしかない。

相手が名を隠した知人である場合と、見ず知らずの他人である場合では状況は異なる。見ず知らずの他人は存在自体が未知であるが故に、たとえ名乗ったとしてもその名は何も保証しない。名前が何のコンテクストも持たず存在し、ただの記号としてしか機能しない。つまり、名は持つが無名の個人としてそこに存在するだけである。

現在「匿名」という言葉を用いて「無名」である状態を非難する論者は、この二つを区別していない。むしろ「無名」であることを「匿名」とすり替えて、「無名」でしかない人々の立場を貶めようとしてるように見えてしまう。

ムカつくので、ハッキリ言ってしまおう。

Webにおける「無名性」を匿名と非難する人は、見ず知らずの他人に対してオープンマインドにはなれないという状態を匿名という言葉を用いてカモフラージュしている。その欺瞞と裏に潜むスノビズム。私が軽蔑するのはその点だ。

Web上では、誰でも発言することができ、またその権利を持つ。そして、リアルと同様、見ず知らずの他人に話しかけることができる。当然そこにはリスクも存在する。自分を含めた多くの人は、無知で恥知らずで下品な一面を持っている。それはしかたのないことだ。そんな人間の弱さ汚さに直面することは、生きている以上避けれない。Webという野に降り立ち、無名な一般人と対峙することを選ぶ以上、そのリスクを避けることは出来ない。

例えば、作家になり本を出版する。その本には自宅の住所と電話番号が書いてあり、感想を自由に教えてほしいと書き添えておく。本がベストセラーになると、見ず知らずの他人から一日数千本の電話があり、同じく見ず知らずの他人が大挙して自宅を訪れるという事態を招く。そして、そんな見ず知らずの他人全員が礼儀正しいとは限らない…。

このような、住所と電話番号を一般に公開するリスクは誰もが容易に想像できる。しかし、Blogにおいてエントリーを公開し、コメント欄を解放し、トラックバックを受け付ける状態が、まったく同じリスクを伴うと認識できない人がいるらしい。一般公開している以上、見ず知らずの他人がそこ見ることを止めることは出来ない。

問題なのは、オープンマインドなリベラルを気取って野に降り立っているにもかかわらず、一般人の品性の無さに恐れ戦いている自らの弱さを隠すために、匿名という言葉を使って論理のすり替えを行っている欺瞞だ。見ず知らずの他人に寛容になれないなら他人とは接触を断つべきだし、知人の紹介なしには話しかけてはいけないと宣言したらいい。これは単純にコミュニケーションに対する考え方の違いである。確かに多少偏狭な考え方ではあるが、それ自体は個人の選択であり非難されることではない。無理して立派な人のふりをする必要はない。

それにもかかわらず、匿名という言葉を持ち出してきて無名な個人を非難する理由が私には理解できない。確かに、私みたいなどうでもいい無名人にとってもWebは粗野な野ではある。しかし、たとえノイズの方が大きくても、その中で輝くアイディアは確実に存在する。それを見つける苦労を厭い、正当に評価することができないのなら、Webにとどまる必要などないのではないかと思う。Webはサロンではない。]]>
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   <title>匿名を「悪」だというなら、正式な手順でそれを証明してみせろ。</title>
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   <published>2007-06-14T18:47:16Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:33:43Z</updated>
   
   <summary>勝手なレッテル貼りによって、匿名を貶める思考停止は罵詈雑言と大差ない。</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="ESSAY" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="8" label="culture" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="1" label="web" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      <![CDATA[<a href="http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/06/post_1dde.html" target="alt">la_causette: 「多少のコストを覚悟」させたら優秀な書き手は逃げてしまう</a>

この種の問題は、<a href="http://miamoto.net/repository/000285.html" target="alt">これまでに何度か触れてきた</a>。そして、この問題についての自分のスタンスは既に決まっている。それにも関わらずもう一度トライするのは大人げないとは思う。しかし、いいかげん我慢できなくなってきたので再び書いてみる。]]>
      上で引いたページの書き手がさらけ出した誤謬に、少なからずあきれている。

問題なのは、彼が「匿名性」に対して勝手なレッテルを張って自らの誤謬に疑問を持たない点にある。

議論の前提として確認しておきたいことが一つ。匿名性が誹謗中傷の温床になる、という仮定は論証されていない。したがって、これは定理ではない。それなのに、安易に『匿名であるが故に傍若無人にブログ主を中傷しブログ主を困惑させる』と書いてしまう、その軽率さは問題だと思う。

深く考えると匿名という言葉は曖昧模糊としている。実名を隠してあらわさないことすべては、匿名の概念の下に含まれる。そうなれば、いわゆるペンネームや通名で活動する人々すべては、匿名の下に隠れて活動しているわけだが、そんな彼らの言動は無価値で、信用できないものであろうか？

そんなことはない。作家の多くはペンネームを使用しているが、彼らの作品は呼称がペンネームかどうかに関わらず作品としての一定の価値を持っている。同様に、同じペンネームを継続的に用いることで人格や思考の性向を示すことができるし、その継続性によって主体の存在を担保することも、実際に出来ている。継続的な議論をするための条件は匿名であっても確保することができる。

逆に主張したいのは、顕名であってもウソはつけるし誹謗中傷することもできるという点。詐欺師はみんな顕名で活動する。たとえウソの名刺であっても、その場において顕名であることにはかわりない。また、戸籍に記載されている氏名を名乗ったとしても、人はウソをつくし、非礼な態度も取るし、テレビに向かって罵詈雑言を吐き捨てる。また、旅の恥はかき捨てという言葉が表す、ある種の旅行者が見せる傍若無人さは非礼ではないのか。

ここで先ほどの引用に戻ろう。あの筆者は曖昧な印象に基づいて、断定的に『匿名であるが故に』と書いてしまっているがこれは間違いだ。人が下品な言動に走る理由に顕名・匿名は関係ない。

実際問題として氏名はほとんど何も担保しない。それは、Webだろうがリアルだろうが関係ない。初対面の他人が示す氏名は単なる記号であって、その個体と継続的な関係を構築して、初めて氏名はその存在を担保する。見ず知らずの人の前では、平気でつばを吐き捨てる。それが人間だ。

コメント欄にびっしり表示される氏名とIPを一つづつ拾いだして本人確認をするために、一体いくらコストが必要なのか理解しているのだろうか？対費用効果を考慮すると、氏名から個を特定することなど一般市民に取っては事実上不可能なのだ。

顕名・匿名問題は同じ穴のムジナだ。顕名論者は勝手な思い込みで匿名を中傷している。身勝手なレッテル貼りによって、匿名を貶める思考停止は罵詈雑言と大差ない。私はその非論理性を下品だと思う。

ここからは、あくまでも私の個人的な考えであるが、言論においては、その内容と発言主体の存在の継続性こそが重要なのであって、それが何に担保されているかはそれほど重要ではない。

例えば、マスメディアは平気でウソをつくし、勝手な断罪で無実の市民の名誉を傷つけてきた。しかし、その一方で、貴重な事実を拾いだしたり、弱者を救う力になってきたことも事実である。それはどの権威でも同じことで、大学教授にも間違いはあるし、実験結果のねつ造もやる。しかし、彼らにしか証明できない事象も存在する。

すべては、善悪を一面的に評価できる存在ではない。結局のところ、信じられるのは自ら思考する力のみであって、権威やレッテルを鵜呑みにせず、事実を追求する姿勢のみが人の知性を高みに引き上げる。

最後に。「武士道に反するから、己の名を名乗れ！」と言われるなら、私も素直に納得する。それは文化であって、場合によっては個人の好みであるから。しかし、それはケンカするときの作法であって、言論の価値とは関係ない。
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   <title>給与は利益の配分</title>
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   <published>2007-01-06T14:59:59Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:37:24Z</updated>
   
   <summary>自分の会社の経営状況を詳細に把握して、無能な執行役員は問いつめるくらい勢いのある会社員になりましょう。</summary>
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   <category term="6" label="life" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   <category term="9" label="work" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://miamoto.net/">
      ホワイトカラーエグゼンプションのハナシ。
      <![CDATA[個人的にはもうずっと以前にこの問題へはケリをつけているので、なんだか気分がついていかない。何はともあれ、とにかく労働基準法改正論議があり、さまざまなところでこのキーワードが飛び交っているのは事実。

<a href="http://www.news24.jp/74647.html" target="alt">日テレNEWS24：安倍首相“残業代なし”法案提出に慎重姿勢</a>

当初、仕事と私生活のバランスを見直すのに、ホワイトカラーエグゼンプションが必要な理由が理解できなかった。しかし、Wikipediaにあった一文を読んで納得。

<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3" target="alt">ホワイトカラーエグゼンプション - Wikipedia</a>
<blockquote><p>安倍晋三内閣総理大臣はホワイトカラーエグゼンプションについて、「残業代が出ないのだから従業員は帰宅する時間が早くなり、家族団らん増え少子化問題も解決する。」と述べている。</p></blockquote>

「カネなら払わん！」と公言すれば、みんな働くのをセーブするでしょ、と。そういうことらしい。このロジックの是非は充分に検討されてしかるべきだが、あえてここでは触れない。

この問題を日本人の伝統的な労働スタイルの是非ととらえると、この人のような壮大な物言いになるだろう。

<a href="http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061227/116261/" target="alt">2007年を斬る：「働く」って何だっけ？ (ニュースを斬る)：NBonline(日経ビジネス オンライン)</a>

私は「カネを稼ぐために働く」のが心底キライだ。また、労働そのものに喜びを見いだすようなエグいメンタリティの持ち主ではないので、働かなくてもいいほど金持ちなら、絶対にカネ稼ぎのために働いたりはしない。したがって、労働スタイルのハナシとして今回の法改正を見つめるとまるで興味が持てないのだが、法律が規定する「給与の位置づけの変更」ととらえると面白く感じる。また、ホワイトカラーエグゼンプションの本質もそこにあると思っている。

公には給与は「勤務に対する対価」ということになっている。しかし公務員以外の全員にとって、給与は「利益の配分」であり「労働の対価」たり得ない。

実に単純なハナシだ。儲からない事業を行う企業は、勤務への対価として給与を支払うことは不可能だ。これが現実の社会のルールだ。

公営の各種サービスはそれ自体が存在しサービスを提供し続けることが目的になっている。存在自体が目的なら、提供時間そのものが商品となりそれに対して一定の対価が支払われるのは理解できる。しかし、一般企業は利潤追求が目的であり、利潤を得るからこそ存在することができる。したがって、私企業の本質は永続的な利潤追求であって労働そのもではない。

従業員全体の総労働量に対し、利益が常に正比例するなら単純なのだが、現実には労働量と利益は比例しないケースがままある。現実としてそんな状況下にあるのに、給与を勤務の対価と位置づけるような偽善行為にこだわり続けるから、みんなが誤解し怒り出す。世の中の経営者は、もっと正直になるべきじゃないのか？そのための手段として「ホワイトカラーエグゼンプション」というお墨付きを利用したくなる気持ちは、なんとなく理解できなくはない。

仮にホワイトカラーエグゼンプションが合法的に認められるとして、その場合、従業員はどのように立ち回ったらよいのだろう。ホワイトカラーエグゼンプション下での従業員には、利益配分比率が不当に低く設定されてしまうリスクがある。しかし反対に、この状況を逆手にとると給与アップを狙うことも不可能ではないかもしれない。

もし自分が経営感覚に優れた従業員であるという自覚があるなら、会社全体の経営状況から自らの判断で、自分の妥当な給与水準を推し量ることができるはずだ。説得力のある説明ができ、且つ、経営者が有能であるなら、場合によっては交渉次第で自らの給与を引き上げられる可能性もないわけではないと思う。（…というか、私はずっとそんな交渉を個人でやってきた。）

つまり今回の労働基準法改正の大前提となるのが、ディスクロージャー。ホワイトカラーエグゼンプションを導入する企業は自社の経営状況と財務内容を内外に向けて充分に開示する必要がある。最低でも証券取引法あるいは商法によって定められている程度にはディスクロージャーが行われないと、利益配分の正当性を裏付けることができないし、それを第三者が検証することもできなくなる。それができないなら、ホワイトカラーエグゼンプションは導入すべきではない。あるいは、ディスクロージャーを行わない企業がホワイトカラーエグゼンプションを導入することは、法律で明確に禁止されるべきだ。

今回の労働基準法改正にまつわる問題は、労使関係だけを考えていたのでは解決の糸口が見いだせないだろう。また、多くの会社員の労働環境を一変させる可能性があることも確かだ。恐らく従業員全員が経営感覚を磨く必要があり、今までと同じようにのほほんと働いていたのでは、雇われの身としては儲け損なう可能性があるということになる。現実に目を背けても意味がないので、これからの世の中をどう渡っていったらいいのか真剣に考える必要があるだろう。]]>
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   <title>Knockup</title>
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   <published>2007-01-03T14:59:59Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:39:15Z</updated>
   
   <summary>このBLOGの存在理由を改めて問う。</summary>
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      新年一発目のエントリー。日記系雑感駄文。
      <![CDATA[再開するとはいいつつも、結局、昨年中はまばらにしかエントリーできなかった。たぶん調子よくエントリーできるようになるまで、もう少し時間が必要な気がする。エントリーできなかった理由は単純。仕事上のコンディションの変化が激しくて、情報収集する時間がまるで見つけられなかったこと、新しくBLOGを立ち上げてしまったこと、この二つが主な原因だ。

エントリーすること自体への興味は薄れているわけではなく、<a href="http://www.vox.com/home" target="alt">VOX</a>にアカウントを作って、不定期ながら週一くらいのペースでそちらにエントリーを投げ込んでいる。しかし社会で起こったできごとへのリアクションとしてのエントリーは一昨年末くらいから激減している。昨年来投げ込んできたエントリーのほとんどが音楽ネタであり、それはあくまでも個人的な行動から生じた内面の変化を記録したに過ぎない。その様子は、まるで外界で生じるさまざまな出来事へリアクションすることそのものへ興味を失ったかに見える。

そう見えてしまうのにはちょっとした原因があった。いろんなきっかけから昨年の春くらいから某ＳＮＳに再び登録することになり、そっちのジャーナルに毎日１エントリー以上というペースで、主にニュース・アーティクルへのリアクションを投げ込んでいた。その習慣はほぼ半年ほど続き、本来ならこっちにエントリーすべき内容のエントリーまで、某ＳＮＳのジャーナルに投げ込むようになっていた。それはもうただの惰性の産物としか言いようがない。恐らく、仕事のコンディションが変化していなければ今でもその習慣は続いていただろう。

そんな習慣に陥った理由を今改めて考えてみると、「想定し得る読者たち」の存在が常に自分をドライヴしていたのだと気づく。

ニュースアーティクルへカウンターをあてたときに、まるで知らない人たちに大量に読まれることもあったがそれは例外で、主なレギュラーは知人たちだ。ＳＮＳでは確実に読者を獲得できる。しかも読者層を確実に想定できたので、エントリーから自分の思い通りの効果を引きだすことが可能だった。そのおかげで、エントリーすることはとても楽だった。それが「惰性」をどんどん強化していったのだと思う。その気分は、クローズドなリストでメルマガを発行してときに感じるものに等しい。

それは確かに楽しい体験だった。しかし、ＳＮＳというクローズドな世界でいくら自分を表現しても、そこに「予想外の広がり」を見つけることは難しい。そんな環境下では、自分の視野が定型化しやすい。いとも容易く自己模倣に陥り、そんな無限ループの中で矮小化を続け、いつしかゆるやかな死を迎える。それがオチだ。

それに気づくと、ＳＮＳのジャーナルの気持ち悪さが際立って感じられてならなかった。元来、群れるのがキライな性格なのもあって、その居心地の悪さがピークに達した時、強制的にエントリーを停止し、惰性を消去した。簡単に「消去した」と書いたが反作用がなかったわけではなく、それ以来、BLOGヘのエントリーを気軽に書く事が難しくなってしまった。

「思考実験」という都合のいい言い訳を得て、今まではさまざまなジャンルのネタを気軽に扱うことができた。しかしあのような変遷を経た今、私自身がパブリックに向けて駄文を晒すことそのものの意味を再び吟味することなく、エントリーを乱発することはできない。しかし、ジャーナリストでも文筆家でもない自分が、何か意義深いエントリーを連発できるはずもなく、振りかぶったところで、自分の能力が高まるわけではない。結局、このBLOGをはじめたとき、ふっとひらめいたアイディアに立ち戻ることが必要なんだと思う。

私がここにエントリーすることは、何かを証明したり、自分のプレゼンスを高める、といった実用的な目的とは関係ない。影響力を行使したいわけでもないし、誰かを論破したいわけでもない。そこに高邁な思想はない。それは、BLOGをビジネスに利用したり、ブロゴスフィアのハブとなるリーダーたらんと欲する人たちと決定的に違う点だと思う。

結局、このBLOGは駄文のよせあつめである。自分自身の思考を記録しネットワーク上に晒すことで、いつか、どこかで、誰かの思考を刺激する。そのとてもとても小さな可能性のためだけに存在する。無記名のまま永遠にネットワーク上に晒し続け、私の流した思考が他のどんなエントリーと共鳴あるいは反発し、そこからどんな思考が派生・模倣されるのか見てみたい気がする。

「<a href="http://www.google.com/search?sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rls=GGGL,GGGL:2006-40,GGGL:ja&q=%E7%AC%91%E3%81%84%E7%94%B7" target="alt">笑い男</a>」は一通の無記名メールの拾い読みから生まれたが、このBLOGはその無記名のメールになることはできるだろうか。もっとも、このBLOGは告発もしないし、スタンドアローン・コンプレクスをプロデュースするなんてバカげたこともしない。だから、ここがキッカケで「笑い男」が生まれるなんてことはありえないのだけど。

でも、私のゴーストの一部がここに記されていることは間違いない。例えば私が今すぐ死んでしまっても、サーバの契約が切れるまで、あるいはキャッシュが生き残っている間は、打ち捨てられるミームとしてネットワーク上に生き続ける。それはとても小さな出来事だけど、個人的には十分にエキサイティングなプロジェクトだと思うのだけど。どうかなぁ…。

関連：<a href="http://miamoto.net/repository/000285.html" target="alt">匿名を貫きたい理由。</a>]]>
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   <title>サーバ移行</title>
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   <published>2006-10-10T15:00:00Z</published>
   <updated>2006-10-12T01:14:53Z</updated>
   
   <summary>サーバを移行。</summary>
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      サーバを変えてみた。
      <![CDATA[ついでに Google Apps for Your Domain とか利用してみたので、なんだかメールまわりも充実。個人だったらこれで充分かも。いまのところ快適。

新しく借りたサーバはマルチホストに対応してくれているので、本家と分家の両方を同じサーバに統一。価格はちょっと高くなったけど、それでも月間数百円くらいの差額なので、まぁ、イイ感じかと。

ちなみにココ→　<a href="http://westhost.com/" target="alt">WestHost Inc.</a>]]>
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   <title>napster.jp、ローンチ。</title>
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   <published>2006-10-03T14:35:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:40:27Z</updated>
   
   <summary>まずは、自らのサービスおよび商品拡充が重要なポイントになる。</summary>
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      <![CDATA[<a href="http://www.napster.jp/">napster.jp</a>

<a href="http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20258107,00.htm" target="alt">定額聴き放題のナップスター始動--「iTunesはライバルではない」 - CNET Japan</a>
<a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/03/news043.html" target="alt">ITmedia News：月額1280円で150万曲聴き放題　「Napster」国内サービス開始</a>

ナップスターはどこに勝機を見いだすべきか。]]>
      <![CDATA[現状、圧倒的に洋楽のカタログが充実している。これはiTS-Jの状況とほぼ変わらない。ナップスターとiTS-Jをはじめとする既存サービスとの最も大きな違いは、課金モデルだろう。

<a href="http://www.napster.jp/guidance/service/" target="alt">3つのコースの違い｜ナップスタージャパン</a>
<a href="http://www.napster.jp/support/faq.html" target="alt">よくあるお問い合せ｜ナップスタージャパン</a>

この内容を見る限り、既存のiPodユーザ、あるいはiTS-Jユーザにはほとんどアピールしないだろう。「Napster a la carte」は価格こそiTS-Jとまったく同じだが、そもそもiPodが使えない。さらに、DRMのシバりのキツさを考えると、積極的に乗り換えるような魅力があるわけではない。

一方「着うた」ユーザへのアピール度であるが、こちらも弱い。楽曲単価ではメリットがあるものの、着うたユーザのほとんどが邦楽消費者であることを考えると、積極的に移行する理由は見当たらない。

したがって、ナップスターのアーリーアダブターは、iPod以外のデバイス所有者で月１枚以上洋楽のＣＤを購入するユーザ、ということになる。この条件にマッチする消費者にとってナップスターは魅力的に見えるはずだが、問題はこのような属性を持つユーザがどれくらいのボリュームで存在するかだ。

携帯音楽デバイスが「iPodとそれ以外」というグルーピングになっている現状、ナップスターが直接的に競合するとすればMoraやYahoo!ミュージックなどWMDRM採用の音楽データ販売サービスだが、それらサービスの利用者はそれほど多くない。もちろん、ドコモの新型携帯電話が投入されればモバイル系で勢いはつくだろうか、携帯電話で音楽を聴く層が積極的に洋楽を買いあさるとは考えにくい。

したがって、せっかくドコモが新機種を投入しても、邦楽のカタログを充実させなければ商機を失う。もちろん、着うたユーザを取り込むことも不可能になってしまう。まずは、自らのサービスおよび商品拡充が重要なポイントになる。

<q><a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/03/news064.html" target="alt" title="ITmedia News：ドコモ夏野氏「Napsterが成功しないと私のクビが……」">「ドコモの音楽戦略はけっこうナップスターに依存している。成功しないと私のクビが危うい」</a></q>と語るドコモ役員の言葉は、冗談ではないだろう。

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ちなみに「napstar TO Go」で購入したアルバムのＣＤが、タワーレコードで￥1,000円で購入できるようになるなら、使ってみようかという気にもなるのだけどね…。]]>
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   <title>再開に寄せて。</title>
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   <published>2006-10-01T15:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-01T08:40:54Z</updated>
   
   <summary>ぼちぼち再開します。</summary>
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   <category term="4" label="misc" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      ほぼ４ヶ月ぶりにエントリーを再開した。
      この間、まったく休止していたわけではなく、別所に連続してエントリーを投入していた。そのため、本人的にはあまり休止していた感覚はないのだけど、気がつけば４ヶ月もブランクができてしまった。

続けていたものを止めてみると、いろいろと思うところがあって、このBLOGの方向性も少し修正せねばならないかと思った。昨年くらいからエントリーの長文化傾向に拍車がかかっていたのだけど、これは方向転換しなければならない。長いものは書くのも読むのも時間がかかる。そうなると、どうしても世の中の動きをテンポよくフォローすることができなくなってしまう。結果、未完のゴミ・エントリーを乱造することになってしまった。

また、このところ連発してた音楽ネタは独立させて別サイトに移行することにした。音楽ネタへのモチベーションが継続的に上昇しているので、このまま書き続けていくとこのBLOGが音楽ネタで埋め尽くされることになる。それはこのBLOGの趣旨とは相容れないので、移行するのが適当だと判断した。過去エントリーを削除することはしないけれど、まったく同じ文章が別サイトに掲載されるのを見かけるかもしれない。

これまでどおりユルくマイペースで進めるということは変わりないので、大した変化ではないな。
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