はてな?のことを書こうと思ったんだけど、はてな?を無事卒業してしまった私の中では、激しくどーでもいいことに分類されてしまって書けなかった。よって没。
はてな?の中の人て、壁に直進して激突するかのごとく愚直にボケる。なんかカワイイけど、ボケてばかりだとそのうち誰かに買われちゃうよ。
----
R30::マーケティング社会時評: 「結婚したら負けかなと思ってる」
今回のお題はそんなことじゃなくて、子育て。
R30::マーケティング社会時評にあった一節に深く納得してしまったので、とりあえず自分がなぜ結婚して子どもをもうけたのか思い返してみた。
ニートと非婚化の何が共通しているかというと、それは親の存在だ。ニートでも「むりやり就職しなくてもいいという親」の存在がニートを(経済的、精神的に)許してしまっているという声があるが、結婚だって同じなのである。
…「労働か家庭(家事)か」という二者択一に押し込めようとするから誰もが不幸になるんだよね。だったら、第三の選択肢を広げればいいじゃん?ということだ。…
それとは別に、R30〜では方自治体の仕事とか公共機関の仕事を全部解放して、公務員の仕事をみんながパートタイムとか有償ボランティアでできるようにすればいいんだよ。
という、実に真っ当な提案もしている。
それらに関してはまさにそのとおりなので、そうなったらいいね、とは思うが、現状はまったく異なるので思い切り萎える。
子育てを経験し始めてようやく具体的に見えたのだが、現実問題としてこの「第三の選択肢」を選択するのは困難を極める。
現実的には、親が乳幼児に付き添う理由は「3歳児神話」なんかよりも経済的な理由の方が大きい。よほど経済的に余裕のある家庭でない限り、乳幼児をあずけて仕事をするのはカネがかかりすぎる。「3歳児神話」なんて優雅なことは言ってられない。例えば、未就学児童をあずけて仕事をする場合と、就学年齢に達するまで待って仕事を始めるのでは、明らかに後者のほうが損失が少ない。
子どもをあずけて仕事をする場合、労働時間が長くなるほど経費がかかり、しかも、ある時間(午後5時前後)を境にそのコストは2倍近くハネ上がる。労働時間が長くなるほど、収入は増えるがそれと同じくらい、あるいはそれ以上の割合でコストが増える。働くほどに出費が増える。かといって労働時間が短いと収入が減るので、子守りコストを捻出できない可能性がある。多くの場合マイナスになるだろう。
結局、給料以上のカネをはらって仕事するという事態に陥る。そんなわけで、仕方なく多くの家庭では子どもが就学するまで夫婦どちらかが仕事を放棄して子どもの面倒を見ることになる。
例外は、両親が同居あるいは近所に住んでいて子守りを任せられる場合。保育園を利用できる場合もそれに準ずるが、それでも両親ともにフルタイムの仕事を持ち、ある程度の水準の年収がある場合を除いては±0をキープするので精一杯だろう。そもそも希望者全員が保育園を利用できるわけではないという罠。(もちろん、父子・母子家庭の場合は状況は異なる。)
そんなわけで、出産後の数年は無視できないような経済的負荷がかかる。それに加えて精神および体力面での負荷が重なるわけだから、子どもを育てる決断を下すのは、純粋に「子どもがほしい」というキモチがなかったら、なかなかできるものではない。
しかしそれよりも問題なのは、子育てで中断されたキャリアを再構築できない点にある。
出産年齢が上昇している現在、出産後にキャリアを再開することはもちろん、あらたなキャリアを構築するチャンスさえもらえない場合も多い。20代半ばまでに出産〜子育てを一段落させられる場合は、キャリアを再構築できる可能性は残されている。しかし30代前後で出産を迎えてさらに子育てで数年のブランクが生じた場合、新たにキャリアを構築する可能性も、継続して再構築する可能性も共に低い。それを避けるためには、収入がまるごと養育費に消えようとも産休明けからすぐに職場復帰して、なりふりかまわずキャリアを継続する必要がある。
このように、経済的な面ではどう考えても好材料がない。雇用する企業側が子育て支援をするのが最も効果的なのだが、それこそほとんど期待できない(期待できるわけがない!)。国や自治体からのサポートはそれなりに増えつつあるのが多少慰めにはなっているが、それも決して充分ではないことはかわりない。
そもそも晩婚化する時点で、子育てができなくなる確率が上がるのは当たり前なのだ。35歳で生んだ子どもが大学を卒業するのは57歳の時である。40代で会社から放り出されるご時世で、50歳過ぎてから数千万円単位の金額を子どもの学費として支払うなんてことは、考えたくもないことだろう。(そのうえ、住宅ローンを70歳まで払い続けるなんて、ぜったいにあり得ない選択肢だ。)
そんな数々の困難を乗り越えてそれでも子育てをしたいと思う家族が少数派になったとしても、べつに不思議なことではないだろう。そうでなくても、これだけ困難な状況を耐え抜いて子育てに勤しむ親が、子どもに必要以上に期待をかけてしまう気持ちは、共感はできないがアタマでは理解できる。
なぜそんな社会構造になってしまっているのかは、はっきりいってまったくわからないが、かなりムカつくことは間違いない。よーするに、社会全体で子育ての問題なんて真剣には考えていないというとだ。仕事だけして家庭をほったらかすオヤヂ像がなんとなく連想されてしまうが、そんな社会が健全に育つわけはないので現代の社会でいろんな矛盾が表面化するのは仕方ない。ただし、ウチの子が親になる頃までには、子育てに対してもう少し希望を持てるようにしてあげたいとは思う。社会が変わるとは期待できないが、ダメなときにはダメなりに幸せになる方法はあるはずなので、それを見せてあげられたらいいかな、と。
横道にそれたが、単に生き方の問題以上に経済面での問題が多いので、少子化は避けられないというお話でした。 ;-p
----
某アサヒの社説(それもシリーズで)少子化問題を扱っていたらしい。とりあえず中身を読んでみたのだけど、どれもこれも内容薄。これが社説か。ふ〜ん。さすがアサヒ。購読断っといていヨカッタ。