息抜きエントリー。
私が普通に生きていればリアルでは(絶対に)知り合いになるはずのない人だけど、なぜか気になるトピックをエントリーする人。巷でちょい流行のいわゆる「社長BLOG」系なんですが、まぁ、他の方々のとはずいぶんと違う雰囲気でちょっと楽しい。
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特に日本だと、このタイトルは後ろ向きだな…と思われてしまうかもしれないけど、「最後の友達は家族」というのは、私の実感そのものだったりしたのでエントリーしておくことに。
日本で、とある雑誌編集者の方に真剣にこう聞かれた。 「日本では、会社の同僚=遊び友達、という構図が崩れつつあって、これから先『一体誰と遊ぶんだ』ということが問題になりつつある。アメリカ人は一体誰と遊んでるのか。」 …(中略)… ちなみに、編集者の方の質問をうちのダンナに聞いてみたら、「ウォッハッハッハ」と笑っていた。 「んなの、家族にキマットル」という笑いであるようだ。
私も週末は家族と過ごす…というか、週末しか一緒にいられる時間がない。このエントリーを見るまでは当たり前だと思って気にしたこともなかった。
以前勤めていた会社では営業もこなしていたので、社内社外を問わずいろんな人と(半ば強制的に)交流する機会は今よりずっと多くあったのだが、それでも週末だけは断固としてお誘いは断っていた。だから「会社の同僚=遊び友達」という関係がまず理解できていない。恐らく、そんな関係が成立していたのは私の父親くらいの人たちまでじゃないかなぁ、と。だから、上で引用した部分で出てくる雑誌編集者って、オヤヂばかり相手にしているのかしら。
私にとって最高に価値のある時間は「一人でいることができる時間」なのだ。一人で考えごとをしたり、本を読んだり、何かつくったり…。自分にとって重要なアイディアはこういった時間に生まれている。結婚してからこんな時間は減ってしまったが、そのかわり不安やさみしさを感じることが少なくなって、いろんなことに集中して取り組めるようになった。まぁ、要するに「女の子にモテようと思わなくてよくなって楽でいいな」ということなんだけど。(w
それもこれもみんなカミさんや子どものおかげであったりするので、自分にとって週末はその感謝の気持ちを表す絶好の機会だったりする。それをフイにしてまで会社の人につきあうなんてちょっと考えられない。(経営者じゃなくてよかったと思う。)
そこで思うこと。生きていく上で、そんなにたくさんの友だちが必要なのか、と。
よい友だちからは自分の感性を羽ばたかせる貴重な時間を得られる。でも友だちは多くなればなるほど、その関係をキープするための時間と労力を消費し、且つ、相手との感性のマッチ率が下がる。友だちをも消費材だと思えれば新規獲得し続けていけばいいのだろうけど、それこそ面倒。
確かにいろいろな人々との出会いは(ときどき)重要なインスピレーションをもらたしてくれることがある。しかし、新たな発見を求めて出会いを探すためには、自分や家族のために割く時間が減ってしまう。そのかわり新しい刺激とインスピレーションが得られるかもしれない。
しかし(残念なことに)人生は短いので、得られたものを活用する時間も限られている。得るために多くの時間と努力を費やすことは、同時に、それを生かす機会を失っていることになる。得られたものの多くは活用されずに失われる。
では、なんのために得ようとするのか。
多くの場合、得ることによって感じる「満足感」のためにそうするのだと思う。それはつまり「幸せになりたい」ということであって、「何のために生きているの?」という根本的な問いに対する(無意識の)回答なんだと思う。
多くの場合、「幸せ=自分にとって価値のある時間」である。私の場合、それは家族と過ごす時間だったり、自分が重要だと感じていることに没頭している時間である。私にとってはそれがすべてである。
やりたいことがやれる、時間的、金銭的、体力的「自由」は明らかに有限だ。普段からよく考えていないと幸せを感じることができる時間はどんどん失われてしまう。そう考えると、私の場合、自分の感じ方を理解して(私という)存在を容認してくれる人(あるいは家庭)があれば充分なのかもしれない。実際、それで幸せなのだ。
Posted by: chika at March 13, 2004 4:55 PM
絶対知り合いにならない渡辺です:-)
「幸せは自分の内側にある」・・・というか「幸せは自分の内側にしかない」と常々思うのですが、家族というのは自分と地続きの島のようなものなので、やはりそのあたりがグラツクと中々幸せになれないのはないかと思います。。。おっしゃるとおり人間忙しいので、まず大切なものに対応する時間を設けないといけませんよね。